「大公開!沖ノ島展の舞台裏 プレミアム座談会&内覧会」開催しました!

特別展「宗像・沖ノ島と大和朝廷」どりーの関連イベント、「大公開!沖ノ島展の舞台裏  プレミアム座談会&内覧会」を開催しました晴れ

 

小雨傘が降る2月20日。あいにくのお天気にも関わらず、24名のお客様が御来館下さいましたきらきら

 

まずは、伏貫政春さん(会場デザイナー)、中野完二さん(広告イラストレーター)、沖ノ島展担当の小嶋篤(当館展示館研究員)の3名+司会の梶村美月(当館広報課)による座談会

 

展覧会で注目されるのはもちろん様々な展示品たちですが、それをどうやってお客様にお見せするか、が実は博物館のウデうでの見せ所なのですきらーんきらーん。そのためには館外のプロのお力を借りることも。

研究員のコンセプトをどんな風にデザインとして空間に展開するか、イラスト化するか。悩みや裏話をゲストのお二人に語っていただきましたDocomo109

 

座談会後は、展示室での内覧会です。

担当研究員小嶋の解説を聞きながら、皆さん熱心にご覧になっていました四葉のクローバーニコッはな

 

当日の詳しい模様はご参加の皆さまから、ブログにてご紹介頂ける予定です。

沖ノ島展ホームページの「ぶろぐるぽ応募記事一覧」からご覧頂けますハートハート

 

投稿者 | 989edu |
日本神話×沖ノ島展(5)−古代の神宝

特別展「宗像・沖ノ島と大和朝廷」どりーに登場する日本神話、第5回古代の神宝は不思議な刀子(古代の小刀)のお話をご紹介します。

 

 

新羅の王子の子孫、清彦は、先祖から伝わる宝物の「出石(いずし)」と名付けられた刀子を、垂仁天皇(すいにんてんのう)に献上しましたが…。

 

  清彦(きよひこ)が垂仁天皇(すいにんてんのう)の命で献上(けんじょう)した刀子(とうす)が蔵の中から無くなった。不思議に思われた垂仁天皇は、清彦に刀子の行方をお尋ねになられた。

  清彦は「咋日の夕方、刀子がひとりでに私の家にやって来ましたが、今朝にはいなくなっていました」とお答えした。

  この後、刀子はひとりでに淡路島(あわじしま)に行き、島の人々に神として祀(まつ)られた。

『日本書紀』巻第六より

 

この神話の刀子は、ひとりでにいろんな場所に移動してしまいます。天皇の蔵にあったはずなのに、清彦の家に帰ってしまったり、淡路島に行ったり。

もしかしてイラストのように、ぴょんぴょん跳ねて遠く淡路島まで行ったのでしょうか…。とても不思議なエピソードですお願い★

こんな不思議な刀子だったから、淡路島の人たちは刀子を神様だと考えたのでしょうねきらきらきらきら

 

 

刀子は古代の小刀ですが、万能ナイフのようにいろんな用途で使われていました。

 

作品No.70 金銅装刀子 福岡・花見古墳 

古墳時代・6世紀 九州大学大学院人文科学研究院考古学研究室

 

この刀子の刀身は鉄製、柄は木製です。鞘は通常、革で作られますが、こちらは金銅製*。

革の鞘の形だけではなく、革を丸めて縫い合わせた縫い目まで表現されていますエクステンション

*金銅:銅に鍍金(ときん・メッキのこと)や金箔を施したもの。

 

鍍金された鞘は、作られた当時は金色にきらきら輝いていたきらきらことでしょう。

神話の中の不思議な刀子を想像させるような発掘品です。

 

 

ファンファン福岡で特別展「宗像・沖ノ島と大和朝廷」や九州国立博物館についてご紹介いただいてます!ぜひご覧下さい!

 

投稿者 | 989edu |
日本神話×沖ノ島展(4)−御神酒のはじまり

特別展「宗像・沖ノ島と大和朝廷」どりーに登場する日本神話、4回目は御神酒のはじまりをご紹介します。

 

神武天皇は夢にあらわれた神のお告げのとおりに、丹宇川の上流神まつりを行います。

第3回でご紹介した水辺での神まつりを描いたエピソードのひとつですね。)

 

  東に軍を進める神武天皇(じんむてんのう)は、神の教えに従って、香具山(かぐやま)の社(やしろ)の土で手扶(たくじり)*御神酒甕(おみきがめ)をつくり、丹生川(にうがわ)の上流で神まつりを行われた。

  御神酒甕を丹生川に沈めると、神意のとおりに魚が木の葉のように流れていった。

  このときから、神まつりに御神酒甕が用いられるようになったのである。神まつりの後、神武天皇は東征(とうせい)を成し遂げられた。

『日本書紀』巻第三より

 *手抉(たくじり):丸めた土の真ん中を指先で窪めて成形した土器のこと。

 

 

古墳時代の中頃から、日本列島で須恵器(すえき)という土器が作られるようになりました。

 

作品No.69 須恵器 甕

福岡・小田茶臼塚古墳 古墳時代・5世紀 朝倉市教育委員会

 

それまで主に使われていた土師器(はじき)に比べて、須恵器は高温で焼かれたため固く丈夫で、液体の運搬や貯蔵に向いていました

お酒の醸造にも使われていたそうですよきらきら


おうかん会場で展示中のはなんと高さ86センチメートルびっくり! 

展示室で実物の大きさを確認して下さい!

 

 

神まつりに御神酒甕が使われるようになった、という日本書紀の記述には、須恵器の広まりが影響しているのかもしれませんね!

 

 

ファンファン福岡で特別展「宗像・沖ノ島と大和朝廷」や九州国立博物館についてご紹介いただいてます!ぜひご覧下さい!
投稿者 | 989edu |
ページ: 1/278   >>