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きゅーはく女子考古部 番外編〜春の山城ツアー!前編〜

今回は、きゅーはく女子考古部番外編です!

古代山城(こだいさんじょう)

大野城(おおのじょう)ツアー!

女子考古部

今年度最初の活動に、女子考古部1期〜4期の有志が参加しました★

まずは、前編!

 

・・・大野城とは??・・・

663年、日本は唐(現在の中国)と新羅(しらぎ。現在の朝鮮半島にあった国)の連合軍に、

白村江(はくそんこう。朝鮮半島にあった場所)での戦いで敗れてしまいます…。

「このままでは日本が攻められるかも!」と考えた当時の人々は、

急いで北部九州に防衛施設築きました。

その中のひとつが、大野城です!

665年に、福岡県の太宰府市、大野城市、宇美町にまたがる

四王寺山(しおうじやま)に築城されました。

女子考古部

↑大宰府政庁跡の背後に見える四王寺山

しかし、実際に大野城が他国から攻められることはありませんでした。

その後この山は、

奈良時代に四王寺が創建、戦国時代には合戦の場、江戸時代に石仏三十三ヶ所が建立…と数々の歴史の舞台となります。

 

版築土塁(はんちくどるい)に囲まれて…

土塁とは、土の堤防のようなもの。

版築とは、土や砂の層を重ねるごとに、上から棒でつき固めていく技法です。

この技術は、朝鮮半島から伝わったとされています。

女子考古部

↑復元された版築土塁の断面。土の色が違う部分が層になっているところ。

女子考古部

↑大野城は、奥に見える案内パネルの通り、周囲にぐるっと尾根があります。

この尾根に沿って、版築土塁が築かれ、谷を塞ぐ石垣が築かれ、城門9箇所造られました。

土塁の外周は、約6.8km!

北側と南側の一部は二重土塁になっていて、総延長は約8.2km!!

女子考古部

↑土塁の上を歩いています。

 

土塁の内側には、現在確認されているだけでも約40棟、おそらくは全体で70棟以上の建物があったとか!

これは見所が多そうだ!(^^)

 

・・・山城マスターと巡ろう!・・・

女子考古部

スタートは、焼米ヶ原(やきごめがはら)駐車場。

案内役は、きゅーはく女子考古部の小澤副顧問です。

山城を研究しており、平成15年度の豪雨で被災してしまった大野城の復旧にも携わった、

まさに山城マスター!

 

ちなみに、大野城の面積は東京ドーム60個分、福岡ドームだと40個分です。

一日では、到底巡ることができないので、今回は南側限定のツアーです。

 

‖精防楔城門跡

女子考古部

↑城門付近には石垣が残っています。

使われている石は、花崗岩(かこうがん)。

この山に元々ある石が使われています。

谷や川の箇所に作られる石垣は、このようにしっかり積まれていることが多いですが、

表面だけ石垣風に石を貼り、中は土のところもあるのだとか!

そのような石垣は「貼石垣(はりいしがき)」とよばれています。

敵に「この城、頑丈そう!落とすの無理!」と思わせるため、

また、見た目を立派にして権威を見せるためだそうです。

女子考古部

↑中央あたりが、かつて城門があった場所。

ただし、城門は古代に3回ほど改築されていて、幅が最初期より狭くなっています。

付近からは、城門の屋根についていたであろう鬼瓦が3つも出土しています!

女子考古部

↑そして、地面の石に注目。

大野城の城門といえばコレです。

 

少し復習になりますが、きゅーはく女子考古部では、これまでに何度も「礎石(そせき)」が登場しました。

女子考古部

↑九州国立博物館4階、大宰府南門模型より。

建物の柱が地面の水分で腐らないようにするため、地面と柱の間に置かれる石。

これが礎石です。

jyosi

↑太宰府口城門跡にも、礎石がある…おや?

この穴は何でしょうか?

女子考古部

↑県民の森センターに置かれているコレは、同じく大野城の宇美口城門跡の地面にあったもの。

おそらく大野城の城門すべてに、あったであろう…

これは「唐居敷(からいじき)」といいます。

門の両側に置いてあり、扉を開閉できるように細工がされているのです。

・・・唐居敷とは??・・・

女子考古部

●赤い部分●

一番小さい穴には鉄製の棒状の金具が入ります。

穴の中には鉄サビが残っています!

金具の上部は球体のような形になっていて、

扉にはその形とぴったり合う穴があいていたと考えられます。

これで、扉が開閉する仕組みができます。

●黄色い部分●

扉の両側につく門の柱です。

太宰府口のものは円柱です。

宇美口のものだけ唯一、四角い柱です。

●白い部分●

方立(ほうだて)と言います。

扉と柱だけでは、その間に隙間ができてしまい、スカスカの門になってしまう!

かといって、扉と柱をピッタリくっつけたら、扉が開きません。

ということで、目隠しの役割がある柱が、真ん中にありました。

 

でも、これだと方立が扉の邪魔になってしまう…と思われる方もいるかもしれません。

しかし!こういった要塞の城門は、内開き!と熱く語る山城マスター。

女子考古部

扉の開閉を場内でコントロールできるなど、ちゃんと理由があるとのこと。

(外開きだと、敵に押さえられたら開けられなくなる)

なるほど…。

扉は内にしか開かないので、方立は邪魔にはなりません!

 

この唐居敷は、城門跡を調査する際の非常に重要なアイテムなんです。

 

土塁の災害復旧

女子考古部

↑太宰府口城門跡から、次の目的地、焼米ヶ原へ移動中。

歩いているところは土塁です。

ここの土塁は外側が、かなり急な崖です。

この土塁も平成15年度の豪雨で崩れてしまった箇所です。

どのように復旧したかと言うと、版築で土塁を築き直したそう!

ほぼ直角なので、大変な作業ですね。

大野城全体で50ヶ所ほど復旧作業が行われました。

 

焼米ヶ原〜尾花礎石群(おばなそせきぐん)

女子考古部

↑ここには10棟以上の高床倉庫があったと考えられています。

大野城は、食料の貯蓄としての役割も果たしていました。

女子考古部

↑今でも、黒く炭化したお米を見つけることができます!

そのため、ここは焼米ヶ原とよばれています。

女子考古部

↑炭化米探しに夢中になる部員たち。

地面を削るのは御法度です。

 

さて、お米を見てそろそろお腹がすいてきました。

お昼ごはんを食べて、午後のツアーもはりきっていきましょう!

 

後編に続く!

 

投稿者 | 989edu |