活动海报中文版
活动开始前,大家一起准备好所需物品,精心布置了活动会场。 等待时刻,既激动又担心!
亡灵节表演秀真的十分震撼!墨西哥用欢乐形式纪念故人和生命的氛围与中国的沉重肃穆的状态形成鲜明对比,让人有耳目一新的感觉。
亡灵节表演秀(Anmistuhime剧团)
在简易日语解说特展亮点一环节,因墨西哥离中国较远,大家对其文化都不太熟悉,所以提前给大家准备了资料。大家参考资料,一边聆听学艺员的讲解,一边走近古墨西哥的世界,揭秘特展《古墨西哥——玛雅、阿兹特克和特奥蒂瓦坎》的方方面面。
研究员正用简易日语为大家解说?
研究员正用简易日语为大家解说?
最后是设计墨西哥钥匙挂件的环节。为了让大家更加理解制作方法,给大家发了手工流程资料和图案参考图,并制作了部分样品供大家参考。
参考样品
样品确认中
钥匙挂件设计中
期待成品的职员们
大家设计的图案都超级好看。还有留学生将《古墨西哥》特展的相关作品融入设计,超级心灵手巧呀!但无论如何,每一份作品都汇集了大家的心血,是大家参与活动的纪念,也是大家与九博的连接。
希望大家在九博度过了一个愉快的文化之日,也期待大家能感受到九博的用心,来太宰府时别忘了抽空来九博逛逛呀!
]]>太宰府天満宮の参道は大変な賑いのようです。
2024年のお正月をみなさまはどのようにお過ごしですか?
さて、1階の体験型展示室「あじっぱ」では鏡餅や羽子板、凧や干支の辰の人形など、お正月の展示で みなさまをお迎えしています。
「おうちdeあじっぱ(持ち帰り用のぬりえや工作)」には「ふくわらい」が登場、ぜひ、お正月遊びを楽しんでしてください。
みなさまの運気が昇る龍のごとく、ぐんぐんと上がっていきますように(*^^*)。
「あじっぱ」でお待ちしています。
]]>展示の一部をご紹介します!
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ワークショップ
「王さまが死んだ! 甕棺に入れよう」
ワークショップについて やさしい 日本語で 書いています。
やさしい 日本語は 外国人の方だけでなく、
子どもから 大人まで いろいろな方に わかりやすく 情報を 伝えるための 言語です。
― 甕棺とは? ―
みなさんは 「かめかん」を 知っていますか?
亀缶?
いいえ!
「甕棺」です。
[金隈遺跡の 甕棺]
甕を 棺として 使ったものを 「甕棺」といいます。
甕は 土を 焼いて 作った 器です。
棺は 死んだ人を 入れる ものです。
現代の 日本の 棺とは 材料も 形も 違います。
[現代の 日本の 棺]
「甕棺」は 今から 約2200年前(弥生時代)に 使われていました。
九州で 使われていました。
福岡県、 佐賀県、 長崎県などです。
[甕棺が 見つかっている 場所の 地図]
※他の 場所でも 見つかっています※
― 王さまって? ―
福岡県糸島市に 「三雲南小路遺跡」が あります。
弥生時代(約2200年前)に 伊都という 国が あったところです。
ここで 大きな 甕棺が 見つかっています。
1つの 甕の 大きさが
高さ 約120cm、 口 約90cm、 重さ 約80kgも ありました。
この 大きな 甕を 2つも 使っていました。
そして たくさんの 宝物が 入っていました。
珍しいことです。
そのため 伊都国の 王さまの 甕棺だと 言われています。
この甕棺の 複製品(=本物 そっくりに 作ったもの)を 九州国立博物館で 見ることができます。
4階の 文化交流展示室 2テーマ「稲づくりから 国づくり」に あります。
展示室の 案内は こちら。
[展示されている 甕棺]
[展示されている 甕棺の 反対側]
― ワークショップについて ―
弥生時代(約2200年前)に 「甕棺」を どんな風に 使ったのか。
劇で 体験する ワークショップです。
王さまを 甕棺に 入れよう!
[王さま役の 人形]
1.王さまの 服を 着替えさせる。
王さまは 絹で できた 豪華な 服を 着ていました。
きれいな 色で 染めています。
上着の 赤は 「茜」という 植物を、
腰の 紐の 紫は 「あかにし」という 貝を 使います。
2.みんなで 穴を 掘る。
甕棺を 埋めるためです。
大きな 甕棺を 入れるために 穴も 大きくします。
深さは 約150cmです。
3.甕棺を 運ぶ。
甕棺は 複製品(=本物 そっくりに 作ったもの)です。
本物は 約80kgありますが、 複製品は 約10kgです。
重いため 紐を 使って 運びます。
4.王さまを 布で 縛る。
甕棺に 体が 全部 入るようにします。
そのため 体を 折りたたみます。
「屈葬」と いいます。
手や 足が 開かないように 布で 縛ります。
5.王さまを 甕棺に 入れる。
お尻から 入れて、 甕棺から 頭が 出ないようにします。
6.宝物を 甕棺に 入れる。
宝物は 中国から もらったものや 日本で 作ったものなどです。
お墓に 入れられた 宝物を 「副葬品」と いいます。
王さまの 甕棺には たくさんの 宝物を 入れました。
7.赤い 粉を まく。
赤い 粉は 「辰砂」という 鉱物です。
なぜ 粉を 使ったのか、 わかっていません。
安らかな 死を 願ったのでしょうか?
8.甕棺で 蓋をする。
王さま以外の 人も 甕棺を 使いましたが、
王さまは とても大きな 甕棺を 使いました。
甕棺の 他に 木や 石などで 蓋をすることも ありました。
9.粘土で ふさぐ。
甕と 甕の 間には すき間が あります。
間から 水や 虫が 入らないように 粘土(=粘りがある 土)で ふさぎます。
ふさぐことで 甕棺の 中が 守られます。
10.甕棺を 埋める。
甕棺を 土で 埋めます。
どこに 埋めたか、 わかるように 土を 盛ります。
こうして 王さまを 甕棺に 入れました。
参加した方 ありがとうございました。
みなさんの おかげで 王さまを 甕棺に 入れることが できました。
[午前の 参加者]
[午後の 参加者]
― 劇の後 ―
参加した人が できること。
1.王さまの 服を 着る。
2.甕棺に 入る。
3.宝物(副葬品)を 入れる。
4.写真を 撮る。
― これからの イベント ―
これからも 甕棺を 使った イベントを やります。
イベントが 決まったら ホームページの 「催し物案内」に 情報を 出します。
参加を 待っています。
「催し物案内」は こちら。
特別展
【古代メキシコ ―マヤ、アステカ、テオティワカン】
九州国立博物館で
2023年10月3日 火曜日から 12月10日 日曜日まで
開かれます。
ここで 見ることが できるものに 「赤の 女王」があります。
赤い 粉を たくさん 使った お墓に 入っていました。
そのため 「赤の 女王」と 呼ばれています。
赤い 粉は 「辰砂」です。
今回の ワークショップで 紹介した 赤い 粉も 「辰砂」です。
国が 違いますが、 同じものを 使っているということです。
不思議ですね!
ぜひ 「赤の 女王」も 見に来てください。
詳しくは こちら。
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福岡県立糸島高等学校歴史部 「僕らのキュートな象嵌(ぞうがん)鍔(つば)」
糸高歴史部も本フォーラムの常連さんです。揃いのTシャツでキメてくれました。
糸高は校内に郷土博物館を持っています。その博物館の所蔵品、荒牟田1号墳から出土した太刀の鍔に注目しました。他の資料をCTスキャンするついでにこの鍔もスキャンしたところ、なんと両面に象嵌が見つかったのだそうです。びっくりですね。面白いのは、この象嵌の文様の「かわいさ」を数値化したところです。バランスがよく、密度が高く、象嵌部分が多い=かわいい! のだそうで、この鍔は最高にカワイイようです。全国的に珍しい、両面に象嵌が施された鍔。これが糸島の古墳から出土したことは何を意味するのか。さらに調査を進めていってもらいたいです。
ポスターを正面から撮影できませんでした。申し訳ない。
九州産業大学付属九州産業高等学校史跡探索研究部 「東洋一!?大刀洗飛行場の謎に迫る!!」
中学生の時に語り部の方から聞いた大刀洗空襲の話がきっかけで、大刀洗飛行場について調べることにしたのだそうです。大刀洗飛行場は太平洋戦争当時、東洋一と謳われた西日本最大の航空拠点で、今も一部施設や関連する遺跡が残っています。大刀洗が飛行場建設地に選ばれた理由は4つあったそうですが、史跡探索研究部は納得がいかず、さらに調査を進めました。結果、航空機の飛行距離を考えると中国大陸への中継地は朝鮮半島にも必要で、それは蔚山(ウルサン)に建設された飛行場と推測。また、理由の一つである沿岸から40kmの距離が必要なのは、艦砲射撃を避けるためだったことが分かったそうです。納得できないことを調べていくことは大切ですね。これからもどんどん探索してください。
埼玉県立熊谷西高等学校 「密着!!女工・工女さんのカッポウ着とおやつ」
総合的な探究の時間に取り組んだテーマを、女子5名で賑やかに発表しました。
紡績工場などで働く女工は「可哀そう」、「不幸」というイメージがとても強いですが、具体的にどうであったのか、作業着とおやつにポイントを絞って調べたそうです。明治初期の労働環境は確かに劣悪でしたが、大正期には揃いのエプロンや作業着を着て働いていましたし、今でも地元で愛されている軽食は女工さんたちもおやつとして食べていたことが分かりました。次第に労働環境は改善され、必ずしも「女工=不幸」ではなかったわけですね。スライドの映写とポスターを組み合わせたり、ポスターをSNS風にしたり、工夫を凝らした発表でした。
福岡県立宗像高等学校歴史研究会 「山田棒ノ尾遺跡における須恵器窯採集資料の検討」
世界遺産に登録された沖ノ島の対岸にあたる福岡県宗像(むなかた)地域は、須恵器の窯跡が多くあると推測されています。しかし、現在までに発掘調査が行われている窯跡は少なく、実態がよく分かっていません。そこで、宗像市の文化財担当部署の協力を得て行った踏査の結果を発表しました。須恵器片が集中する新しい地点や窯跡本体かもしれない場所などが確認できたそうです。踏査の際に採集した須恵器の実測も自分たちで行い、8世紀の須恵器であることが分かりました。今後の調査はどのような方向に進むのでしょうか。窯跡の発掘調査に取り組むことができるといいですね。
栃木県立矢板東高等学校リベラルアーツ同好会 「栃木県における猫神信仰」
発表タイトルは「猫」ですが、発表は「雷」から始まります。雷と猫にどんな関係があるのでしょうか。
栃木県は雷がとても多く、雷神信仰が根づいているそうです。雷光や雷鳴に敏感な猫を描いた絵馬が雷神を祀る神社に奉納されていたりして、どうも雷神信仰と猫は関係があるようです。さらに、猫碑・猫像が残る県北地域は養蚕業が盛んだった地域。他県から移住してきた養蚕業・製糸業従事者が猫神信仰を栃木県にもたらし、雷神信仰と猫神信仰が混合した特有の文化が栃木県にあったのではないか、と考えるに至りました。雷と猫。つながりましたが、その線はちょっと細いように思えます。さらに研究を進めて、この線が太くなると面白いですね。期待しています。
今年は、まだまだ深めていける研究や研究につなげていくための調査が多かったですね。引き続き、取り組んでほしいと思います。
また、研究内容をどうやって伝えようかと様々な工夫が凝らされていて、苦心の跡が見えるポスターもありました。発表ポスターは、事細かに書くと文字が小さくなって読みづらくなってしまいます。しかし、省略しすぎると研究内容が正しく伝わりません。図や写真も盛り込みたいですし。難しいですが、そこが工夫のしどころです。
終わったばかりですが、今から来年の歴史学フォーラムが楽しみです!
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今年の参加校は10校。そのうち、初参加の学校が1校でした。高校生による解説を午前と午後に分けて行いました。それでは午前の部から紹介しましょう。
福岡県立朝倉高等学校史学部 「天岩戸伝説が問いかける「秋月の乱」」
いまや、常連中の常連となっている朝高史学部。黒地に赤文字の幟が目印です。
昨年取り組んでいた甘木絞と神功皇后の関係究明の調査中、朝倉市にある大己貴神社(おおなむちじんじゃ)絵馬堂に奉納されていた、とある絵馬から探求が始まりました。この天岩戸伝説が描かれた絵馬を奉納したのは秋月の乱の中心人物達で、教科書で学習した不平士族の反乱という秋月の乱のイメージとかけ離れたものだと感じたそうです。歴史的出来事に関わった人々が何を思い、何を考えていたのか、その一端が分かると俄然面白くなってきますね。秋月の乱について、より深く知ることができる歴史資料の紹介でした。
長崎県立壱岐高等学校東アジア歴史・中国語コース歴史学専攻 「「神宿る島」壱岐の信仰について〜歴史的変遷と特異性〜」
6月に壱岐市に出張した際、神社の多さが気になりました。たまたま目についただけだろうかと思っていたら、壱岐高歴史学専攻のみなさんによると、実際、神社の数がとっても多いのだそうです。さらに、床の間ほどもある大きな神棚を祀る家も多いのだとか。そこで、壱岐における宗教や信仰の歴史的変遷を検討し、壱岐特有の信仰形態が生まれた謎の解明に取り組むことにしたのだそうです。信仰の有り様を大きく四つの時期に分けましたが、全国的な信仰の流行や政策の影響を受けている点をもっと考慮してもよかったように思います。壱岐特有の信仰形態が生まれた謎の解明には、今少し時間が必要なようですね。
福岡県立香住丘高等学校 「決号作戦下において篠栗町に設置された司令部と戦時中の篠栗町の調査」
初めての参加ですが、ひと際大きな声で元気よく発表してくれました。
決号作戦とは、太平洋戦争末期に日本軍が立案した本土防衛作戦の名称です。この作戦では主戦場と予想される関東地方と九州地方に重きがおかれたようですが、九州地方の司令部が福岡市ではなく、山間の小さな町、篠栗町に置かれたのはなぜなのか。その理由を探り、現地調査と聞き取り調査を行いました。地理的な理由だけでなく、篠栗町にある若杉山が持つ神聖性も影響しているのではないかと推測しました。なかなか難しいですが、決号作戦に関わる記録にもアプローチできるとさらに研究が深まったのではないかと思います。
福島県立相馬高等学校郷土部「双龍文環頭太刀柄頭の謎」
相馬高校郷土部(ごうどぶ、と読みます)は、昭和21年の創部以来発掘してきた多くの遺物を所蔵しています。その遺物の中から福迫横穴29号墓出土の双龍文環頭太刀柄頭を取り上げました。双龍文環頭太刀とは金銅で装飾された太刀の一種で、古墳時代後期によく副葬されるようになります。この柄頭と同タイプの柄頭は地方に多いものの東北地方では珍しく、そのようなものがなぜ相馬市の横穴墓に副葬されたのか、福迫横穴29号墓の被葬者はどのような人物なのか、考察しました。双龍文環頭太刀は特定の氏族や職掌を表していると考えられていますので、もう一歩踏み込んで、29号墓被葬者の職掌を追究してみてはどうでしょうか。
群馬県立高崎北高等学校「養蚕信仰が現在の地域社会に与えている影響について」
群馬では戦前まで非常に盛んだった養蚕業。豊蚕を願う養蚕信仰が、発表者が暮らす地域に残っていることを知り、インタビューと文献調査、現地調査を通じて、養蚕がすたれた現在の養蚕信仰の状況を調べました。少ないながらも豊蚕祈願の御札を配る神社があり、犠牲にした蚕の供養碑も残っているそうです。養蚕業が衰退する一方で養蚕技術は進歩し、豊蚕への切実な願いが薄れたことが信仰衰退につながったと結論づけました。今後も、お祭りの様子などさらに実態を調べていきたいそうです。他の地域と比較してみると新たに分かることがあるかもしれませんね。
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今回の「新収品展」では、2022年度(令和4年度)新たに当館の所蔵となった作品の中から、選りすぐりの作品をご紹介します。物音に敏感に振り返る埴輪の鹿、目を奪う装飾文様をまとった縄文土器、1500年の時間と8000キロメートルの距離を超えて九博にやってきた裂や、悠久の深山を象った香炉。生涯をかけて写されたお経に、生涯をかけて集められた刀。雪を被る竹林を描いた屏風もあれば、夏の夜を涼やかに織り込んだ着物もあります。戦地で秀次からの見舞状を手にした人はどのような気持ちでその内容を読み、日本一の名峰を銘する茶入は、どのような人々の手元で愛でられたのでしょうか。
特定のテーマでくくられることの多い普段の展示とは大きく異なり、新収品展は分野や素材、時代もさまざまな作品が一堂に会します。これらの作品の共通点はただひとつ、「九博デビューの年が同じ」ということ。展示台という舞台に、この日のために磨かれたガラスのケース。ライトを浴びる経験が初めての作品も少なくありません。これから数多くの舞台を踏むであろう作品たちも、そのデビュー公演はこの新収品展一度きりです。万緑鮮やかな初夏に相応しいフレッシュなメンバーの初舞台、どうぞ皆様くれぐれもお見逃しのないよう、お立ち会いくださいませ。
作品リストはこちら→https://www.kyuhaku.jp/exhibition/img/23sin/23sin_list.pdf
ここでは何点か、作品をご紹介します。
・重要文化財 鹿形埴輪(しかがたはにわ) 古墳時代 6世紀
犬の埴輪と一緒に出土しました。猟犬に追われ、物音に振り向いたところでしょうか。
・東北地方南部の土器 縄文時代 5,000年前-4,000年前
複雑な取っ手の形、大小の渦巻模様……4000年以上前のものとは思えない鮮烈なデザインです。
・青磁博山炉(せいじはくさんろ) 中国・南北朝時代 5-6世紀
「博山(はくさん)」は中国の伝説の山のこと。香を焚くと蓋の穴から煙が流れ、霞たゆたう神秘的な山景色が現れます。
・色定法師一筆一切経(しきじょうほうし いっぴついっさいきょう) 鎌倉時代 12-13世紀
色定法師(しきじょうほうし)が1人で書写した一切経の一部です。一切経は5000巻以上あり、41年もの歳月をかけて写されました。
・短刀 銘国光(たんとう めいくにみつ) 鎌倉時代 13世紀
短刀の名手・新藤五国光(しんとうごくにみつ)の作。沸(にえ)が豊かにつき、よくつんだ肌に、直刃(すぐは)の刃文が映えます。
・竹図屏風(たけずびょうぶ) 江戸時代 17世紀
右から左にかけて、夏、秋、冬と季節がうつろいます。竹は東洋で好まれた画題で、本作には中国からの影響も考えられます。
・豊臣秀次朱印状(とよとみひでつぐ しゅいんじょう) 安土桃山時代 文禄2年(1593)
朝鮮出兵の際、現地にいる宗義智(そうよしとし)あてに出されました。太閤秀吉も見舞状を出しており、二重支配の様が窺えます。
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歴史の教科書でよく知られた『解体新書』。この本の挿図を誰が描いたのか、皆さんはご存知ですか?その画家の名は小田野直武、江戸時代に西洋の芸術に学んで日本絵画にリアリズムの新風を吹き込んだ秋田藩の藩士です。
「えっ、なんで秋田なの?」と思われた方も多いと思いますが、当時は各藩のお殿様たちが参勤交代する時代、世界的な大都市・江戸から日本各地に多様な文化や芸術が波及します。それに加え、とくに鉱山開発に成功した秋田藩は、オランダ貿易で輸出される銅を大量に産出したため、早くから海外への窓口・長崎と結び付き、視線が西洋へと向かっていました。
そんな秋田の武士が描いた阿蘭陀風の絵画、つまり秋田蘭画は、いまから250年前の安永2年(1773)に秋田藩の藩主・佐竹曙山と小田野直武が博物学者・平賀源内と出会い、翌年に直武が『解体新書』の挿図を描いたことをきっかけに作り上げられました。ただいま開催中の特集展示「秋田蘭画ことはじめ」では、その誕生250年を記念して、このジャンルの優れたコレクションで知られる秋田市立千秋美術館の名品を一堂に公開しています。
千秋美術館のある秋田から太宰府の九博まで、東京経由で片道およそ1700km。その行程は、福岡から上海へと飛ぶ直航便のじつに約2倍の距離になります。東北地方は、九州からはなかなか訪れることが少ない場所かも知れませんが、今回は、みちのく秋田から貴重な名画の数々が関門海峡を渡ってはるばる福岡に上陸します。この絶好の機会に、東西の美を融合して斬新な絵画様式を創造した秋田蘭画の世界をお楽しみください。
またこの特集展示では、全作品、写真撮影が可能です。展覧会をご覧いただいた想い出作りもゆっくりと出来ますので、ぜひ江戸時代に花開いた洋風画の傑作たちをご堪能いただけますと幸いです。
【YouTube】展示の見どころを、担当学芸員が解説しています。ぜひご覧ください。 ]]>
外国人 のための やさしい 日本語 で 博物館 の 見学
★やさしい 日本語 とは★
やさしい 日本語 は かんたんで
わかりやすくした 日本語 のことです。
外国人 の 方 だけでなく
子 どもから 大人 まで
いろいろな 方 に 情報 を 伝 える 言葉 です。
参考 『 東京都多文化共生 ポータルサイト やさしい 日本語普及啓発 』
2023 年 3 月 11 日 土曜日 に イベント をしました。
やさしい 日本語 で 外国人 の 方 に 博物館 を 案内 しました。
イベント の 様子 を 紹介 します。
イベント では いろいろな 話 を しました。
博物館 のこと。
日本 の 文化 のこと。
展示 *している 物 。
( 展示 *= 文化的 で 価値 のある 物 を 並 べて 見 せる。)
★ 7つの 物 を 見学 しました。 ★
1. 刀
2. ひな 人形
3. あじっぱ
4. 土偶
5. 伊万里焼
6. 遣唐使
7. 埴輪
1. 刀 かたな
みなさんは 日本 の 刀 と 他 の 国 の 刀 と
どこが ちがうと 思 いますか?
日本 の 刀 は 1つ1つの 部品 に 分 けることができます。
他 の 国 の 刀 は できません。
1つ1つの 部品 に 名前 があります。
柄 切羽 鐔 鞘 刀身 …
部品 に 分 ける 様子 を 見 ました。
「 鐔 」という 部品 が あります。
「 鐔 」を 見 て、 さわりました。
2. ひな人形 ひなにんぎょう
3 月 3日 は ひなまつりです。
日本 の 女 の 子 の 祭 りです。
ひな 人形 を 飾 ります。
女 の 子 が 元気 に 育 つことを 願 います。
ひな 人形 や 祭 りの 話 をしました。
ひな 人形 は ひなまつりの 頃 に 博物館 の 1 階 に あります。
3. あじっぱ
「あじっぱ」は 「 アジア の 原 っぱ」という 意味 です。
博物館 の 1 階 に あります。
無料 (0 円 )で はいることが できます。
日本 と 交流 した アジア の 国 の 物 が あります。
生活 に 使 う 物 や 遊 ぶ 物 です。
物 を 見 て 楽 しむ 場所 です。
5 月 の はじめ 頃 から さわることが できます。
ホームページ で 知 らせます。
4. 土偶 どぐう
土偶 は 土 の 人形 です。
今 から 12,000 年前 から 2,000 年前 まで 日本 で 作 りました。
おなかが 大 きい 土偶 。
模様 がある 土偶 。
大 きい 土偶 。
小 さい 土偶 。
いろいろな 土偶 が あります。
作 った 理由 は わかりません。
みなさんは どう 考 えますか?
5. 伊万里焼 いまりやき
これは 焼 き 物 です。
佐賀県 の 伊万里 という 港 から 船 で 他 の 国 へ 運 びました。
だから 「 伊万里 焼 」といいます。
400 年前 くらいの 物 です。
伊万里 焼 など 薄 く 白 い 焼 き 物 を 作 ることは とても 難 しいです。
ヨーロッパ では 作 ることが できませんでした。
だから ヨーロッパ 人 が 日本人 から 買 いました。
とても 高 いです。
たくさん 持 っている 人 は、 お 金持 ちです。
自慢 しました。
6. 遣唐使 けんとうし
写真 は 「 遣唐使 」の 部屋 です。
遣唐使 は 日本 が 中国 に 送 った 人 たちのことです。
中国 の 文化 を 学 び、 物 を 贈 るためです。
贈 った 物 や 貰 った 物 の 見本 を 見 ることができます。
7. 埴輪 はにわ
埴輪 は 土 で 作 ります。
今 から 1,400 年前 くらいに 日本 で 作 りました。
墓 に 並 べました。
人間 、 動物 、 物 など いろいろな 形 が あります。
参加 した みなさん、ありがとう ございました。
また 博物館 で 会 うことを 楽 しみにしています。
また やさしい 日本語 の イベント をします。
子 どもから 大人 まで。
日本人 でも 外国人 でも。
参加 してください。
土偶 伊万里焼 遣唐使 埴輪 は、
4 階 の 文化交流展示室 に あります。
文化財 *を 展示 *する 部屋 です。
イベント が ない 日 も 見 ることができます。
有料 です。 お 金 を 払 います。
( 文化財 *= 文化的 で 価値 の ある 物 。)
( 展示 *= 文化財 を 並 べて 見 せる。)
これからの イベント の 予定
→ 催 し 物 案内
この イベント について
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サクラの開花ももうすぐ。色とりどりの花が咲く季節になりました。
さて、去る3月4日(土)に「手話通訳付きオンラインバックヤードツアー」を行いました!
手話通訳がついていて、どなたでもお好きなところからご参加いただけるバックヤードツアーです。博物館の役割と「守る」工夫を紹介しました。
質問コーナーに多くの質問をお寄せいただいたのですが、時間の都合で全てにはお答えできませんでした。
そこで、この場を借りてお答えしたいと思います。
ツアー終了後の質問コーナーの様子
質問? 企画はどうやって決めていますか?
企画の内容によって、決め方が少しずつ違います。ここでは、展示以外の企画についてお話しします。
九博には、九博に来て楽しく過ごしてもらうためのイベントを担当する部署と、博物館そのものや博物館の所蔵品のことを分かりやすく伝えるためのイベントを担当する部署があります。各担当者が目的に応じたイベントの企画案を作り、同じ部署の職員や関係する部署の職員の意見を聞きながら、企画を練り上げ、実施します。今回の手話通訳付きオンラインバックヤードツアーの手話通訳ボランティアのように、ボランティアさんに大活躍してもらう企画もあります。
質問? 断捨離はどのように決行されるのでしょうか?
博物館や美術館には多くの「モノ」があります。その「モノ」たちは、大きく二つのグループに分かれます。「残していかなければならないモノ」と「捨ててもよいモノ」です。
「残していかなければならないモノ」とは、博物館・美術館が所蔵している文化財です。これは、博物館・美術館がみなさんと一緒に後世に伝えていかなければならないものです。文化財の構造や機能、使い方などを理解することを助ける再現文化財や模造品、研究のために収集された書籍類、記録画像などの中には、大切に保存すべきものもあります。
そのほかの多くのモノは「捨ててもよいモノ」です。展示に使用するケースや道具類、解説パネル、題箋、職員が仕事で使用する事務用品、書類などなど。九博の建物は大変大きいですが、保管場所の確保は職員の悩みのひとつです。
まずは、何かを作ったり、購入したりする際に、保管場所や長く使えるものかどうかなどを考えた上で、製作、購入しています。また、日頃から整理整頓に努めていますが、年度末や大型ごみの処分のタイミングなどで、不用品をチェックし、処分しています。
質問? 修復士さんは、各分野の方が何名ほどいらっしゃいますか?
九博には、文化財の修復施設があります。文化財が長持ちするような処置や、壊れた文化財の修理をしています。ここで作業をしている修復士のみなさんは、九博の職員ではありません。絵画、古文書、仏像などの木造彫刻、漆製品、考古資料など、修理する文化財に応じて、その都度、必要な技術を持った方が集まって作業しています。ですから、その時々で修復作業にあたる方の専門分野や人数が変わります。
質問? きゅーはく号でどこまで行きますか?
基本的に、「呼ばれれば、どこへでも」行きます。ご相談ください。これまで、福岡県内の小学校のほか、福岡県とその周辺の博物館や展示施設に出かけました。
質問?これから開催したいと思う展示の内容はありますか?
九博には、現在27人の学芸員がいます。みな、それぞれに開催したい展示があり、その実現に向けて準備を進めています。特に、文化交流展示室で開催される特集展示は、九博学芸員オリジナル企画です。ご期待ください。
質問? 手話通訳さんは何人いて、普段はいつ活動しているんですか?いつでも九博に行って、手話ガイドを頼むことができますか?九博に行けば、特別展示、常設展示に手話通訳がつきますか?
現在、23名の手話通訳ボランティアが九博で活動しています。
あくまでもボランティアなので常駐ではありませんが、できるだけ博物館1階の「ボランティアカウンター」に待機して、館内案内を中心に来館者のお手伝いをしています。
事前にご相談いただければ、ボランティアによる文化交流展(平常展)案内の手話通訳をすることができます。特別展は展示解説そのものを行っていません。
九博ホームページの一番下に「博物館へのお問い合わせ」欄があります。「ご意見・ご感想」をクリックすると、問い合わせフォームが開きます。こちらから、ご希望の日時などをお知らせください。
https://www.kyuhaku.jp/mailform.html. ←こちらをクリックすると問合せフォームが開きます。ご利用ください。
来年もまた、3月に開催する予定です。みなさんのご参加、お待ちしております。
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提到种子岛,大多数人可能都不太熟悉。脑海里会冒出“种子岛在哪?”,“这个名字有点意思呀!”,“种子岛到处都是‘种子’吗?”等等想法。
种子岛属鹿儿岛县,是位于日本九州和南部诸岛之间的一座小岛,地势低平,岛形狭长。因铁炮(火绳枪)经由种子岛传入日本而举国闻名,是日本历史上第一个开始制作铁炮的地方。这里水天一色,景色宜人,据说是离宇宙最近的岛屿。
本次展览主要分为三大板块,通过展示相关出土品和岛内外保存下来的文化财,向大家介绍种子岛与周边地区往来交流的历史,展现岛上居民的日常生活,带领大家走进种子岛的世界。
进入展厅,“铛,铛,铛!”蓄势待发的火箭屹立于眼前。展厅?!火箭发射基地?!让人不由自主地拿出手机,拍下这壮观的一幕。是的,除了设有禁止拍照标识的作品,大家可随意选择自己喜欢的作品拍照留念哟!
顺着展览顺序朝右侧移动,便进入了第一章“链接大和与琉球(先史、古代)”展区。通过考古调查,在约3万5千年前因火山喷发而沉积在种子岛的火山灰之下,发现了日本最早的人类生活的痕迹。
下图为松原遗址的部分出土品,是古时的餐具。从中可以感受到当时人们生活的气息。展品中不仅有种子岛居民日常生活所需的工具,还有能证明种子岛与其他地区交流频繁的物品。
松原遗址出土品
紧接着便是第二章“第一支火绳枪(中世)”展区。第一支火绳枪经由种子岛传入日本,种子岛因此受到日本全国的关注。
传入种子岛的第一支火绳枪(复制品)
第一支火绳枪,现在看起来感觉和电视里面看到的枪支并无二致,没什么了不起的。但在16世纪中期的日本,却是极其罕见的武器。日本掌握了如何制造铁炮的后,在作战方式和使用武器上都发生了极大的改变。
最后一章是“种子岛的日常(近代)”。战国时代终焉后,因获火绳枪而受到日本全国瞩目的种子岛,被纳入岛津直属,成为了萨摩藩的一员。
松寿院肖像
上图为种子岛第23代岛主久道的妻子松寿院的肖像。江户时代的日本同古代的中国一样,一家之主大多为男性,女性掌权的情况极其罕见。且因武士本身是以战斗作为工作,所以在武士家族中,由男性掌权更是显得理所当然。但松寿院在第24代岛主久珍掌事前的约12年年间,以及1854至1865年新到岛主尚且年幼期间,曾两次代理相关政务,作为当时种子岛家族的实际掌权人,为使岛民生活富足付出了巨大的努力。
种子岛古时与九州陆地毗连,历史悠久;现为日本最大的宇宙航天基地,可以发射人造卫星、火箭等航天器。本次专题展聚焦于种子岛,希望能借此机会让大家更深入了解该岛,也希望能以此为契机,吸引更多的人前往种子岛,亲身去感受那里四面环海的宜人风景,以及深厚悠久的历史渊源。展期截至2023年2月12日(周日),欢迎大家前来观展呀〜〜
]]>そんな大島で、元大島村長の河辺健治(かわべけんじ)さんが作る塩が、「宗像 大島の塩」です。
↑「宗像 大島の塩」を作る河辺健治さん
11月中旬、河辺さんを訪ねて大島へ向かいました。
まずはフェリーターミナルから車で1〜2分のところにある第1製塩所へ。
大島周辺でくみ上げた海水は、3つの釜を使って、5日間ほど時間をかけて煮詰めます。
さらに、仕上げで天日干しをすると、きらきらした美しい天然塩が出来上がります。
↑「大島の塩」は、天然のミネラルが豊富で旨味たっぷりのとても美味しい塩です。
10年前に「大島の産物を作りたい」と思い、始めた塩作り。
最初は、ご自宅の小さな鍋で作っていたそうです。
それが今では、河辺さんの作る塩を求めて大島に渡ってくる人もいるほどの大人気商品に。
1つの製塩所では生産が追い付かず、今年の2月、山の上に第2製塩所を開きました。
「ここは屋根があるので、天気に左右されず年中火を焚き続けられるんですよ。」と 第2製塩所の完成を嬉しそうにお話してくださいました。
第2製塩所は、島のあちこちで見つけた廃材を再利用して、ご自身で建てられたそうです。
この壁に貼り付けてあるのは、トロ箱*の板!!よーく見ると表札も…!
第2製塩所には、河辺さんの「こんなもの使ったら面白いかな」というユーモアだけでなく、
「あるものを大事に活かそう」という塩作りと同じ精神が詰まっていると感じました。
*トロ箱…海産物を入れて輸送するための箱
作業の様子を少し見せていただきましたが、かなりの重労働・・・。
塩の濃度を確認しながら、朝早くから日没まで火を焚き続けます。
燃料となる木材を集めるのも、とても大変だそうです。
改めて今回のプレゼント制作を受けてくださったことに、感謝の気持ちでいっぱいになりました。
↑島一番の絶景スポットの展望所にて。天候によっては「沖ノ島」が見えるらしい…
美味しい塩を作り出す河辺さんは、「塩じい」と呼ばれています。
河辺さんの言葉と笑顔には大島への愛があふれていて、お話しているうちに私もすっかりファンになりました。
「塩じい」が丹精込めて作った「宗像 大島の塩」を、ぜひ多くの方に味わっていただきたいです。
お正月はぜひ九博へお越しください!
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いつ、 どこで、 すること、 を
福岡県立朝倉高等学校 史学部 「「甘木絞」の魅力〜失われかけた地域文化の再生に向けて〜」
こちらもお馴染みになりました、朝校史学部です。今年のテーマは甘木絞(あまぎしぼり)。
甘木絞とは、朝倉市甘木地区で生産されていた絞り染めのこと。江戸時代から作られ始め、明治初期には日本一の生産量を誇った特産品であったとか。昭和30年代に生産されなくなったのだそうです。安価で多くの人が身に着けたのですが、それ故に現存するものが少なく、詳しいことがよく分からない甘木絞。文献調査、聞き取り調査を重ねました。ほかの地域の絞り染めとの違いを追求していっても面白いと思います。
ポスターに加え、甘木絞の現物も用意。どんどん声をかけて配布資料を配り、まるで甘木絞展示即売会のような元気いっぱいの発表でした。
福岡県立八幡高等学校 「九州北部の「道」の歴史推移について」
昨年に続いて2回目。しかも、同じ二人組での参加です。昨年は海を取り上げたから、今年は陸!ということで、研究テーマが決まったのだそうです。北九州市の中心、小倉(こくら)。小倉は江戸時代の街道の起点でもありました。この小倉を通る道がどのような機能を果たしていたのか、その変遷を追いました。
それにしても、なんと言ってもこの工夫が面白い!透明フィルムを利用して、位置関係や変遷を視覚的に確認できるようになっています。解説に合わせてフィルムをめくっていく、紙芝居的楽しさを覚える仕掛けです。
栃木県立矢板東高等学校 リベラルアーツ同好会 「栃木県におけるサメ食文化に関する一考察」
こちらも昨年に引き続き2回目。今回は「サメ食」に注目しました。福岡ではなじみの薄い食材ですが、栃木県の一部地域ではごく普通に食されているそうです。味は鶏肉に似ているとか。
〔サメやエイは血液中に尿素などを含みます。死後、それがアンモニアへと変わり肉の腐敗を遅らせるため、冷蔵庫がない時代の山間地では貴重な水産タンパク源でした。〕
以前は正月などのハレの日に食されていたというサメが、日常の食材に変化したその原因は何だったのか。海がない栃木県にどこからサメがもたらされたのか。栃木県内でもサメを食べない地域があるのは何故か。一つ一つ調べていき、流通経路と消費地の偏りが関係することが分かりました。
聞いている方もいろいろ知りたくなる内容で、たくさんの質問が出ていました。聞いている人の好奇心を刺激するとてもよい発表でした。サメを食べたことがあるか、校内でアンケートをとったのもいいですね。
今年も、面白く興味深い研究がそろいました。参加した高校生のみなさん、引率の先生方、ありがとうございました。
嬉しいことに、今年は発表を聞きに来てくれた高校生が大勢いました。きっと来年、チャレンジしてくれることでしょう。
みなさま、来年の夏にご期待ください!
]]>夏の恒例となりました全国高等学校歴史学フォーラムを、8月6日(土)にミュージアムホールで開催しました。
今年は7校の学校が集まり、日頃の研究成果を発表しました。歴史学フォーラムお馴染みさん2校と、昨年に引き続き2回目の参加という5校です。
高校生による解説タイムを1時間設けていますが、今年は午前4校、午後3校が解説しました。
それでは、午前解説の学校から紹介しましょう。
群馬県立高崎北高等学校 「江戸時代の農村地帯における庚申信仰の広がりについて」
昨年に引き続き2回目の参加。しかも、同じメンバーです。昨年発表した研究でもふれた庚申(こうしん)信仰をテーマに選びました。
〔庚申信仰とは、庚申の日に徹夜して眠らず,身を慎めば長生できるという信仰。次第に日本古来の神様や仏教と結びついて庚申神が信仰されるようになり、農業の神様として信仰した地域もありました。〕
前橋市の御霊(ごれい)神社には千庚申(せんこうしん)と呼ばれる庚申塔群があるそうですが、それほど庚申信仰が流行したのは年貢が重くて大変だったからでは?と考え、調査を進めていったのですが…。年貢が重かったのは事実ですが、信仰の流行とは関連しないようです。
仮説を立て、検証する姿勢が評価されました。また、適宜、画像を交えた分かりやすいポスターでした。
九州産業大学付属九州産業高等学校 史跡探索研究部 「『鉾之記』に迫る!」
昨年に引き続き2回目の参加になりました。江戸時代に書かれた記録『鉾之記(ほこのき)』。甕棺が発掘され、銅剣と銅鏡が出土したことが記されています。その場所は九州産業高校がある筑紫野市内某所。発掘地点はどこ?記録に登場する人物は何者?銅剣と銅鏡を奉納したという太宰府神社ってどこ?そして、銅剣と銅鏡はいずこに?史跡探索研究部の探索の足跡をご覧あれ!とばかりの、楽しい読み物のようなポスターに仕上がりました。探索の様子が画像で見たかったですね。
残念ながら、発掘地点の特定には至りませんでしたし、銅剣と銅鏡の所在もつかめていません。まだまだ探索の旅は続くようです。続編に期待。
埼玉県立熊谷西高等学校 「ダークツーリズムとしての熊谷空襲」
こちらも昨年に引き続き2回目の参加。ポツダム宣言受諾後に起きた熊谷空襲をテーマに取り上げました。きっかけは、メンバーのお祖母さんが熊谷空襲を経験していて、よく話を聞かされていたから。
散々空襲を経験した日本なのだから、その経験を生かして熊谷空襲は被害を小さくすることができたのではないか。なぜ小さくできなかったのか。そう考えて、空襲による人的被害とその理由などを調べていくと、当時の法律で定められた行動が被害を広げてしまった可能性があることが見えてきたのです。
ともすると、感情的に受け止めがちな空襲による被害を客観的にとらえたとても良い発表でした。当時の雑誌などを手に取ることができるようにした点もよかったです。
福岡県立糸島高等学校 歴史部 「石錘FISHING!?〜弥生のおもりで魚釣り〜」
常連中の常連さん糸島高校歴史部。今年は、弥生時代の遺跡から出土する「九州型石錘(きゅうしゅうがたせきすい)」を取り上げ、本当に漁に使っていたのかを検証してみました。
というのも、歴史部は、以前取り組んだ糸島半島を中心に使われていた九州型石錘の調査研究で、単なる漁の道具とは考えにくく、祭祀にも使われたと結論づけていました。今回はもう1歩進めて、使用時につくキズを観察、分析することで実用品かどうか見極めることにしたのだそうです。
学校が所蔵する石錘のように滑石(かっせき)を材料に検証用石錘を作るところから始め、海に投げ入れてキズのつき具合などを観察した結果、石錘1個作るのにかかる時間と労力の割りに使用回数が少なすぎることが分かりました。やっぱり実用品とは言えないよ。祭祀に使ったってことじゃないの?!という結論に至ったようです。たのしい実験考古学の発表でした。
画像や表を多用して理路整然と仕上げたポスター作りが持ち味です。
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4階の展示室に入ってすぐ、巨大な青い展示パネルドアが目の前に現れます。あれ、何でしょうか。思わず歩調を早めてしまいます。入口には「かわいいポイントを探して撮って」という表示パネルがあります。展示室は主に青色、オレンジ色や灰色で彩られていて、温かくほっとする気持ちになると同時にとてもワクワクします。特集展示の展示ケースも他の展示ケースと違い、ガラスの表面には可愛らしいシールが貼られています。かわいい作品プラスかわいい展示ケース、作品がよりかわいく見えます。見事なものですね。
きゅーはく女子考古部の部員達に選ばれた作品はそれぞれかわいいポイントがあり、いずれもかわいいです。また、部員達が発見したかわいいポイントが詳しく説明されており、作品の解説文を含めたすべての説明に多言語が付いています。日本語が苦手な方でも特集展示を楽しめる環境が整えられています。さらに、展示室内にはかわいい鑑賞ガイドが置かれていて、鑑賞記念としてご自由に持ち帰れますよ。
特集展示室に入ったら、上の写真に写っているかわいい馬形埴輪に心惹かれるお客さんが多いようですが、今日は下記の台付鉢形土器のかわいいポイントを紹介したいと思います。少し地味に見えるかもしれませんが、私は大好きですよ!
この台付鉢形土器は今から約4000年前〜3000年前の縄文時代のもので、青森県で出土しました。全体に半肉彫り状の文様が施され、脚部には透かしが入ります。祭祀を行う際に供物を盛り付けて使用したと思われます。製作道具が限られている古代で、この作品は現代のトロフィーのようにきれいにデザインされていました。持つための取っ手がないですが、中央部と上下部の太さがずいぶん違い、上部が碗状になっているので、非常に使いやすいと感じます。また、鉢の口には凹凸があり、突起部分は海の波のような形になっています。さらに、表面には、一見不規則な模様がしなやかに施されていますが、左右の対称性はしっかりと感じられます。改めて全体的な姿を見ると、足元の透かし窓も上下に対称となっているように見えますね。幾何学的な模様のセンス、古代人は現代人とあまり変わらないですね。
展示室の壁には、この鉢がお風呂として使われているパネルが掛けられています。発想力がすごいですね。見た瞬間に思わず笑顔になります。確かに、この台付鉢形土器をお風呂のサイズまで拡大すればお風呂として使えそうですね。そうすれば、古代人でも現代人がお風呂に入ることによって癒される気持ちを感じることができますね。絶妙な発想ですね。
特集展示を鑑賞し終わって、第3室を出るとき、入口の上部にある可愛らしい後ろ姿に注目してくださいね。彼女は何を覗いているのでしょうか。面白いと思って思わず真似してしまいました。かわいいですね。
考古学は伝統的な学問として取り扱う他、「かわいい」という角度からも楽しめます。九博女子考古部の部員達のように専門知識がそれほど豊富ではなくても考古学の世界に浸ることができますよ。
考古学に興味があるかどうかに関わらず、この可愛らしい特集展示がある第3室をぜひ見に来てください!九博女子考古部の部員達と一緒に歴史が詰まった「かわいさ」を味わってください。皆さんのご来館をお待ちしております〜〜
]]>走进4楼文化交流展厅,巨大的天蓝色展板门显得格外别具一格,让人忍不住加快脚步,想要一探究竟。入口有小小的提示牌,温馨提示大家此专题展可以随意拍照。展厅展板主要以天蓝色,橙色以及浅灰色为基调,让人萌发出一种安心,温暖和喜悦的感觉。专题展所属物品的展柜与其他展柜不同,玻璃上皆贴上了可爱的花纹,让展品变得更加生动有趣的同时,显得分外别致。
由九博女子社团成员们精心挑选的展品各有萌点,深受大家的喜爱。展厅内,每一位社团成员所发现的萌点皆有详细说明。且包括展品解说文在内的所有的说明都附有多语种解说文(英、中、韩)。即使是外国友人也完全不用担心。此外,展厅内还放有可爱别致的鉴赏指南,可供大家留作观展纪念。
也许很多观众一进入展厅,都会被上图可爱的马形埴轮吸引住。但今天,我想给大家分享的是可能略为冷门,但却是我个人最喜欢的高足陶钵。
高足陶钵出土于日本青森县,制作时期为距今约4000年前〜3000年前的绳纹时代。器物整体饰有类似半浮雕的纹饰,足部有镂孔。据推测,应是当时祭祀时用来盛放供品的容器。在古代制作工具极其有限的情况下,此高足陶钵却被设计得十分精致。整体形状和如今的奖杯类似。虽无手柄可握,但断层分明,粗细有度,感觉十分便于使用。此外,钵口起伏有致,突起处形似海浪。细看,器身表面蜿蜒盘旋的纹饰,看似毫无规则,却左右对称感觉有迹可循。足部的镂孔也呈上下对应状。似乎古代人对几何图形的审美与现代人并无二致。
展厅墙壁上,还挂有将此钵用作浴盆的展板图片。看到的一瞬间,便忍不住嘴角上扬。竟然还有这种想象力,真是太厉害了!确实,要是将此钵放大至浴盆尺寸,古代人也能享受到现代人因泡澡而被治愈的心情吧!
欣赏完展品后,大家可千万不要忽略了位于入口处上方的可爱背影哟!她在偷看什么呢?我忍不住去模仿了一下,真是太可爱了〜〜
考古,除了作为一门传统学问去对待以外,其实还可从“萌”的角度去享受其中的乐趣。如同九博女子考古社团的成员们一样,虽然没有专业的知识,但也能尽情地遨游在考古的世界里。所以,不管大家对考古是否抱有浓厚的兴趣,都推荐大家来看一看这可爱非常的展厅,和我们一起感受一下这洋溢着历史的可爱。
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Curated by the Women’s Archaeology Club
I am super excited for this exhibition because it was curated in part by members of the Women’s Archaeology Club. That’s right, all the members of this club were women! For the five terms that the club was active (2015-2019), identifying as a woman was a prerequisite being able to join. Although archaeology can be considered a more “female-rich” STEM field in the West, the same can’t be said for Japan. Many female visitors had fed back to the museum about how they felt unwelcome and isolated in the archaeology enthusiast scene due to it being, well, overwhelmingly old and male. As such, one of the aims of this club was to create a friendly, welcoming space for women to engage with history and archaeology-related activities. In addition to participating in activities led by our researchers, members were also given a chance to take ownership of their own club activities in the second half of every term! I actually attended one of their field trips to Hiratsuka Kawazoe Archaeological Park Museum in late 2019 and had a great time making food the “ancient” way with everyone!
Alternative voices, refreshing vibes
This exhibition is themed around objects that club members found “kawaii”, or cute, and as such features captions written by the members themselves. There are, of course, more formal object writeups by our researchers, but what I really love about this particular feature exhibition is how these women are given an avenue to express their thoughts and feelings about archaeology! The upside to such a concept is a refreshingly down-to-earth and—might I even say—#relatable atmosphere to the exhibition space. Without giving too much away, you can expect the English captions to be similarly humorous. Our opening remarks, for example, welcome you with sentiments that you may find familiar…
Have you ever walked through the archaeology section of a history museum and thought, “Man, who cares about all these dusty jars from old graves?” and shuffled over to more interesting exhibits? Well, saddle up your haniwa horses and make your way through the cutest exhibition this museum has ever seen!
When visiting museums, have you ever wondered why any given object had been chosen to be exhibited, and who wrote that caption? In this exhibition, you get a chance to both see the faces behind the Women’s Archaeology Club, and hear their thoughts on the question, “What is ‘cute’ to you?” With that in mind, let’s hear from the International Relations team as to what their favourite comments out of the bunch were...
(My personal favourite is this one about CHAOS.)
Ms. Huang liked this one the best because it’s similar to 藏头诗 (cáng tóu shī, Chinese acrostic poems).
Ms. Kim liked the spirit of this comment. (“How lovely!” she said.)
Our supervisor, Ms. Higuchi, was very tickled by this one.
Although the concept of this Feature Exhibition and its comment section might seem frivolous at first glance, I think they do a great job of inviting you, the viewer, to also ask yourself what sort of historical object holds attraction and meaning to you. Even if the lead-in question seems silly and “girlish” (the language of which we really should interrogate), or if the connection that these women had with the objects they chose came from an emotional place, does that necessarily diminish their thoughts on the subject? Joy is a powerful thing, and I think that we sometimes forget how strong a pull it can exert—especially in more “serious” institutions like national museums. (wink wink nudge nudge)
If you’re in the area or are even planning a visit to Fukuoka soon, why not stop by for a moment of lightness and fun? For more information on this Feature Exhibition, hop on over to our dedicated microsite.
We are currently also hosting a Special Exhibition on Hokusai! Find more information on what you can expect here.
]]>古代体験イベント「きゅーはく女子考古部presents 古代の宴へようこそ!」が開催されました!
各々の貫頭衣に着替え、気合の入った部員たち
最終チェック、宣伝活動にも余念がありません
「甕棺墓埋葬体験」
甕棺(レプリカ)の中に入れるという☆夢のような企画☆
皆様より一足お先に埋葬体験をするミュージアムショップのはにわ店長
好きな衣装を選び
好きな遺跡から出土した副葬品(部員の手作り)を選んで一緒に埋葬してもらいます♪
「まさか自分が埋葬される体験ができるなんて…」と
皆さん興奮を抑えきれない様子で準備されていました。
甕棺や遺跡についての解説も
1人が下を支え、他の2人で輪にしたさらし紐を肩から斜めにかけて、
重たい上甕を持ち上げ蓋をします。とっても重労働・・・
急遽ライトも設置し、撮影もバッチリ☆
甕棺イベントは夏にも予定しています。次報をお楽しみに‼
「紡錘車で糸紡ぎ」
紡錘車(ぼうすいしゃ)を使って真綿から糸を紡ぐ体験
部員たちが繭を煮て作ったフワフワの真綿を使います。
紡錘車も部員たちの手作りです♪
真剣な表情で説明を聞く参加者の皆様
コツをなかなか掴めなかったけれど、
部員のフォローがよかったので楽しかったとのお言葉をたくさんいただきました。
撚(よ)りをかけて紡錘車に結びつけ、巻き付けていきます。
早く終わった方は紡いだ糸を使って「平織しおり」にもチャレンジされていました。
今回参加できなかった方はご自宅でも作ることができるので、
下記動画を参考に是非チャレンジしてみてくださいね!
おうちdeきゅーはく 第5回「織物のコースターをつくろう!」
「きゅーはく☆とっておき講座」
まずはきゅーはく女子考古部とかわいい展について紹介
続いて顧問たちによる座談会 「きゅーはく女子考古部やってみて、ぶっちゃけどうだった?」
鳥取県立むきばんだ史跡公園 長尾さんより むきばんだ女子考古部のご紹介
フィールドをフルに活用した活動が魅力的です✨
第5期生を募集しているそうなので、興味のある方は問い合わせてみてくださいね!
きゅーはく女子考古部、むきばんだ女子考古部へのインタビュー
女子考古部に入ったきっかけや、
「考古かわいいとは」についての話で盛り上がりました☆
特集展示「かわいい考古学のススメ」から お気に入りの作品を紹介してくれました。
「オリジナル貫頭衣をかこう!」
スタンプやペンを使って自分だけの貫頭衣をつくります。
部員お手製のコースターとティッシュケースも人気でした。
「竪穴住居に入ろう」
前日にみんなで土台から組み立てました。
皆さんニッコニコで記念撮影されていました♪
このイベントは
特集展示「きゅーはく女子考古部presents かわいい考古学のススメ」関連イベントです。
展示作品は九州国立博物館の収蔵品の中から
「きゅーはく女子考古部」の部員たちによって選ばれた「かわいい」考古資料です。
かつて考古展示では見たことのない、期待以上のかわいい空間となっています。
また部員たちが考えた、スーッと頭に入ってくる
まるで話しかけられているような解説も見どころです!
7/24(日)まで開催されています。
特別展「北斎」(〜6/12)、特別展「琉球」(7/16〜)のお帰りには、
ぜひ4階文化交流展示室 第3室にもお立ち寄りくださいね!
]]>九州国立博物館1階 ミュージアムホールで
古代体験イベント「きゅーはく女子考古部presents 古代の宴へようこそ!」が開催されます!
「きゅーはく女子考古部」の部員たちが考古学の楽しさを紹介するイベントです♪
「甕棺墓埋葬体験」「紡錘車で糸紡ぎ」「オリジナル貫頭衣をかこう!」「竪穴住居に入ろう」と
子どもから大人まで楽しめるワークショップなど盛りだくさん!
参加無料ですので、是非お気軽にお越しください!
今回はその中から甕棺墓埋葬体験(かめかんぼまいそうたいけん)についてご紹介します。
初公開となるとってもリアルな甕棺レプリカ(FRP製)
伊都国王の墓といわれる、三雲南小路遺跡(みくもみなみしょうじいせき)
から出土した甕棺をモデルにしています。
甕棺レプリカの内側
王の衣装を着て
「きゅーはく女子考古部」力作の副葬品と一緒に埋葬してもらえるんです!
もちろん写真撮影もOK!
副葬品制作中の「きゅーはく女子考古部」
この丸はひょっとして・・・
この筒はもしかして・・・
こちらはストロー管玉の制作中
切った紙ストローに紐を通し色を付けていきます。
この絶妙な色合いは4色を混ぜ合わせてできたのだそうです。
濃淡や欠損部分まで描かれていてとってもリアル!!
新マネージャーも楽しそう♪
役割分担が決まり、それぞれ文献を調べ、解説文を考えています。
このイベントは明日4/19(火)から 4階文化交流展示室 第3室で始まる
特集展示「きゅーはく女子考古部プレゼンツかわいい考古学のススメ」の関連イベントです。
展示作品は九州国立博物館の収蔵品の中から
「きゅーはく女子考古部」の部員たちによって選ばれた「かわいい」考古資料です。
かつて考古展示では見たことのない、期待以上のかわいい空間となっています。
また部員たちが考えた、スーッと頭に入ってくる
まるで話しかけられているような解説も見どころです!
特別展「北斎」のお帰りには、ぜひ4階文化交流展示室 第3室にもお立ち寄りくださいね!
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特集展示「きゅーはく女子考古部プレゼンツ
かわいい考古学のススメ」
4月19(火)から行われます。
女子考古学部の活動がつまった展示となっており、
きっと「かわいい!」「おもしろい!」となる展示です!
特集展示についてはこちら!
展示にあわせて古代体験イベントを4月30日(土)に開催となりました!
実際に触れたり!作ったり!埋葬されたり!?
↓詳しくはこちらをご覧ください。↓
「きゅーはく女子考古部presents 古代の宴へようこそ!」
そして今回はイベントの一つをご紹介します。
>>紡錘車を使って真綿から糸を紡ぐ体験<<
真綿は部員が準備しました!とてもふわふわ!
真綿はお蚕様からいただいております…命に感謝…
作業風景をみてみましょう!
鍋で沸かしたお湯に重曹を入れて、繭を一時間くらい煮込みます。↓
とろけてきた繭を水にさらして、蛹を取り出しながらほぐします↓
水をきり、乾かします。
この時点では固まって小さいです。↓
しかし、こちらをほぐしていくと・・・↓
こんなにふわふわ!↓
乾かした繭をふわふわにしている様子↓
さて、部員が丹精こめてほぐした真綿
紡錘車を使って紡いで糸にすることが体験内容になっていますが。
「紡錘車って何…?」
となった方もいらっしゃるのではないでしょうか??
それはこちらです!↓
赤茶色の丸い物が紡錘車です。
中央にあけた穴に丸い箸を刺して使用します。
(部員の手作りです!)
コマのように回すと紡錘車のおかげでくるくる〜〜!!
こんなに細い糸が!ふわふわの真綿から!↓
土と丸箸でできた道具で糸が取れるのに感激しました。
昔はこうして糸を作っていたのでしょう・・・
当日はこちらの体験をしていただくことになっています!
紡いだ糸は段ボールを使ってカラフルな「しおり」をつくります。
紡いだ糸はお持ち帰りいただけますし、
特別展北斎と開催期間が重なっているので、思い出としてご一緒にいかがでしょうか?^^
「紡錘車で糸紡ぎ」は当日、整理券を配布しますので、お時間にご注意ください!!
時間はイベントページにて!
\皆さん紡いでいってね!/
↓参考リンク↓
古代体験イベント「きゅーはく女子考古部presents 古代の宴へようこそ!」
特集展示「きゅーはく女子考古部プレゼンツ かわいい考古学のススメ」
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“萌”有新生的意思,有惹人怜爱的感觉,还有天然呆的淳朴,以及精致中的可爱……
有人说呆到深处便是“萌”;也有人说“萌”是闪现在质朴中的现代感;还有人说“萌”就是将爱人捧在手心的浪漫和小孩子天真无邪的脸庞……但有谁曾将“萌”和“考古学“这一门苦涩难懂的学问联系起来过呢?如何在考古学中发现”萌“?所谓的”萌“在考古学中又会如何体现呢?
九州国立博物馆将于4月19日至7月24日,在4楼文化交流展厅第3室举办“九博女子社团之考古也可以萌萌哒”的专题展。让大家跟随九博女子考古社团,从全新视角“萌”出发,开启一段萌化人心的可爱浪漫考古之旅。
这里,有人可能会好奇何为“九博女子考古社团”?
其实,本馆曾收到多位女性观众的反馈,大家都说:“对考古很有兴趣,来参加了活动,可现场全是年纪偏大的男性,觉得自己很格格不入。”确实,考古学的世界历来都是男性居多,女性即便推门而入也大都会感到局促不安。九博本着希望能消除那些热爱考古的女性的不安,以及能为她们创造一个亲近考古学的机会的初衷,设立了九博女子考古社团项目。
九博女子考古社团,每期社团的活动时间为一年,活动内容五花八门丰富多彩,包括再现古代餐饮、制作古坟模型以及古坟巡游等。社员们通过多姿多彩的活动体验,在快乐中收获考古知识。而“好萌啊!”这句话,至始至终都是大家的口头禅。
本次专题展的策划灵感来源于九博女子社团“好萌啊”的心得体会,出展的众多考古“萌物”也皆由社员们精心遴选。相信即使是对考古学毫无兴趣的人,也一定能从中感受到考古文物“温暖”和“呆萌”的一面。那些藏在考古文物里的古人情怀,那些不需要任何知识也会被自然吸引的美感,那些让人忍不住嘴角上扬的造型和轮廓……也许就是深深吸引着九博女子社团的“萌”。
过去,古人在没有什么工具可以借助的情况下制作了生活和祭祀用品,他们的慧心巧思都汇聚在了这些考古文物之中。这些令我们现代人感到“萌”的考古“萌物”,也许也曾在某一刻打动过古代女子的心。只要你找到与她们相契合的“萌点”,也许就能在那一瞬间享受彼此灵魂契合的奇妙感觉。
曲玉、四隅伸出型坟丘墓、狗形埴轮、绳纹陶器等造型讲究,质朴精致的考古“萌物”,充满匠人的玩心的面无表情的埴轮,以及珍贵的考古资料等都将于4月19日在“九博女子社团之考古也可以萌萌哒”专题展中闪亮登场。“萌物”多多,精彩不断。“萌”式考古学与呆萌可 爱的你相约九博,不见不散哟〜〜
夏に引き続き、ワークショップ「絹の体験教室 KURUKURU SILK」を実施しました。
夏のワークショップの様子はこちらからご覧いただけます。
http://kyuhaku.jugem.jp/?day=20210914
お蚕さまが作る繭は一本の絹糸でできています。
繭の品種にもよりますが、長いものだとおよそ1.5kmの長さもあるんだとか!
2.3日休まず繭を作り続けるお蚕さまの力を感じます。
今回は、この1本の糸を巻き取るワークショップです!
まず染織専門の研究員が、繭からできるものを解説しました。
当館で展示している文化財にも、繭からとれる絹糸を使って作られているものがあります。
解説中、別の職員が鍋で繭を煮ます。
今回使うのは小石丸という、くびれがある小さめの品種。
コロンとしていて可愛いです。
90度くらいで煮て、水をかけて60度くらいまで冷やして、また煮て…を繰り返します。
ただグツグツと煮るだけではなく、温度差を利用して繭の内側に水を染み込ませること
がポイントです。
繭が煮えたら、糸を取っていきます。
ここで待ち構えるのが「きびそ」というお蚕さまが繭を作るときに1番最初に吐いた部分。
↑繭の周りのフワフワした部分が「きびそ」
繭を作るときの足がかりの部分なので、結構こんがらがってます!
これを取りつつ、1本の糸に繋がる「糸口」を探していきます。
糸がとっっっても細いので、なかなか繊細な作業です!
参加者の皆さま、真剣です。
「これを大量に生産していた製糸工場の女工さんってすごい!」という先人への称賛の声も聞こえました。
お一人10個の繭から1本の糸を引き出し、合わせて巻き取っていきます。
ここで、職員が作った糸取り器の登場です。
繭が入った洗面器の上にのせて使います。
ご家庭で段ボールなどで簡易版を作れますので、気になる方はこちらからチャレンジしてみて下さい。
おうちdeきゅーはく!第17回「繭から糸を取ろう!」
https://www.kyuhaku.jp/j-kouko/ouchi.html
紙パック部分をとにかく回すのみ!
皆さま、ひたすら糸を取っている間に考古専門の職員がお蚕さまについて解説しました。
出土品などから、お蚕さまは古代中国から人と関わりがあった!ということがわかっています。
そして、歯車式の糸を取る道具、大正時代の座繰り器も紹介。
皆さま、歯車があるだけでも効率が全然違うことを実感していただけたようでした。
さて…、
しっかり糸を巻き取り、繭の中のサナギが出てきたところで…。
タッセルを作りました!
乾燥させて少し揉むと、細い絹糸のおかげでフワフワになりました!
最後は希望者のみで、4階文化交流展示室に展示している絹の作品を見に行くことに。
「花弁鳥獣刺繍装飾布」(明・16世紀末〜17世紀/九州国立博物館所蔵)
展示期間(〜3/21)
小さい繭から、こんな大きく綺麗な作品ができるんですね。
こちらの作品は展示期間がまもなく終了となりますが、
4階にて開催予定の新収品展(5月31日〜7月18日)では、美しい絹の小袖が展示されます!
ぜひご覧ください。
参加された方々、おつかれさまでした!
今後も楽しんでいただけるようなワークショップを行う時は、HPでお知らせしますので、
どうぞよろしくお願いします。
]]>早いもので、3月も半ばを過ぎました。
九博の雲海桜のつぼみもだいぶふくらみ、ちらほら咲き始めています。
さて、去る3月5日(土)に「手話通訳付きオンラインバックヤードツアー」を行いました!
手話通訳がついていますが、どなたでもお好きなところからご参加いただけるバックヤードツアーです。
九州国立博物館では、ボランティアによるバックヤードツアー(毎週日曜日)や夜の博物館たんけん隊(毎月第1土曜日)など、さまざまなバックヤードツアーを通じて博物館の役割や仕事を紹介しています。
が。
新型コロナウイルス感染症の影響で、バックヤードツアーは現在お休み中です。
そこで、オンラインでバックヤードツアーを行いました。
少しだけ、ツアーの様子をご紹介しますね。
九博4階の文化交流展示室エントランスから、元気よく展示室の裏側へ出発!
文化財用の大型エレベーターや移動博物館車きゅーはく号を紹介しました。
最後の質問コーナーでは、多くのご質問をいただきました。
時間の都合で質問すべてにはお答えすることができなかったので、ここでお答えしたいと思います。
【ツアーの内容と関連して】
〇500万円の展示ケースはいくつありますか?
・展示ケースの大きさや形によってお値段がいろいろなので、500万円のケースがいくつかすぐにお答えできませんが、九博には展示ケースが約180個あります。
〇現在は身体にも環境にもよい(影響が少ない)方法で虫を排除しているという話がありましたが、具体的な方法を知りたいです。
・現在は、二酸化炭素または窒素による処理と冷凍処理を行っています。窒素や二酸化炭素を使う処理は虫を酸欠死させる方法です。冷凍処理は虫を凍死させる方法です。文化財の大きさや材質、食害する虫の種類などによって、適切な方法を選びます。
〇虫トラップに虫をおびき寄せるエサがついていないのはどうしてですか?
・トラップを使って調べているのは、「館内のどこに、どんな虫が、どれくらいいるか」ということです。虫の交通量調査といってもいいと思います。ふつうの状態を知るためにエサをつけていません。
〇消火器の水の量はどれくらいですか?
・消火器には3リットルと書かれています。
〇消火器の水で資料が濡れるのは大丈夫なのですか?
・大丈夫ではありません。水に濡れると、資料は変形する可能性があります。日頃から、消火器を使うようなことが起きないように気をつけていますが、万一に備えています。消火器の中身が水である理由は、ツアーの中で紹介しました。気になる人は、次回、参加してみてくださいね。
〇廃棄ゴミを3か月保管するのはなぜですか?
・細心の注意をはらって展示作業を行いますが、気づかない間に剥がれ落ちた展示品の一部や、小さな付属品がほかのものと紛れてしまうことがあるかもしれません。展示替えや借用品をお返しする前など、展示品を点検する機会があります。展示品に異常があった場合、ゴミを点検して展示品の一部を見つけ出すことができるよう、3か月保管しています。
〇スプリンクラーは館内に設置しているのですか?設置場所は何か所ですか?
・文化財が水に濡れて変形すると大変なので、展示室や収蔵庫にはスプリンクラーは設置していません。水を使わずに消火できる設備を設置しています。
〇案内役の衣装はなにか意味がありますか?
・案内役が着ていたのはアオザイというベトナムの民族衣装です。案内役が「あじっぱ」という無料体験展示室の担当なので、「あじっぱ」に展示している民族衣装の中から好きなものを選んで着てもらいました。
〇トラックは何台ありますか?
・きゅーはく号は1台です。車体を飾るイラストも含めて、特注品です。展示品を輸送する時は、展示品輸送専門の会社のトラックを使います。
【手話通訳について】
〇手話通訳者はいつもいますか?いつでもお願いできますか?
・新型コロナが流行する前は、手話通訳ボランティアが館内案内をしていました。あくまでもボランティアなので常駐ではありません。現在は新型コロナ感染拡大の影響で、お客様と直接向かい合うボランティア活動を休止しています。
〇手話通訳を事前に予約できますか?
・現在は新型コロナ感染拡大の影響で、手話通訳ボランティアによる館内案内は休止中です。 お客様と対面しての活動ができるようになりましたら九博HPでご案内しますので、ご相談ください。
〇今日のツアーは、手話通訳者は何人いたのですか?
・手話通訳ボランティア12人の協力をいただきました。
【その他、九博について】
〇保管庫(文化財収蔵庫)の清掃はどのようにしていますか?
・基本は家庭での清掃と同じで、ほこりをはらい、床掃除には掃除機を使いますが、水は使いません。また、掃除機のゴミパックは、その都度、中身を確認して、どのようなものが床に落ちていたかを調べています。
〇九博が保管している国宝は何がありますか?
・九博の収蔵品の中には、国宝が4件、重要文化財が44件あります。国宝は鎌倉時代の刀剣2件、狩野派の初代である狩野正信の絵画1件、『栄花物語』の最古の写本1件です。
〇文化財の貸出しで気を使うことはなんですか?
・対象の文化財の健康状態はもちろん、貸出先の展示環境や文化財を正しく取り扱えるかどうかなど、事前によく相談した上で、貸出しするかどうかを決めます。
〇展示の企画をするのは誰が担当なのですか?
・学芸員の担当です。4階の文化交流展は、学芸員全員で話し合い、展示計画を立てています。3階で行っている特別展は、展覧会の内容によって担当の学芸員が決まります。
〇コロナで巡回の特別展が延期になったりしていましたが、そういう場合は展示品は先の博物館で保管しているのですか?それとも、次の予定場所に先に運ばれるのですか?
・その時々の事情で変わります。展示品が安全に保管できる最も良い方法を選択します。
〇展示の時、音声ガイドはありますか?その時は字幕かテキストがありますか?
・特別展は音声ガイドを準備する時としない時があります。文化交流展は音声ガイドがありますが、字幕やテキストの提供はしていません。文化交流展では4月から、音声ガイドに代わってQRコードを利用した詳細解説を始めます。スマートフォンでQRコードを読み取ると、テキストで詳しい解説が表示されますので、お手持ちのスマートフォンの音声読み上げ機能をご利用ください。
以上です。
本当にたくさんのご質問、ありがとうございました。
今後も、直接またはオンラインでバックヤードツアーを行います。
ご興味がある方は、ぜひご参加ください。お待ちしています。
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夏に行ったオンラインのときとワークショップの内容は同じです。
新型コロナ感染症の拡大防止策をとり、少人数で行いました。
今回も、講師の十四代 中里太郎右衛門氏に素焼きの平皿・浅小鉢と無鉛の釉薬(ゆうやく)を特別にご準備いただき、ワークショップ用に考案いただいた「三彩」の方法をご指導いただきました。
まずは当館今井研究員から「三彩」についてのお話です。
お話の内容はオンラインのときのご報告をご参照ください♪↓
「三彩」を体験するワークショップを、オンラインにて開催しました!
次に、平皿・浅小鉢のもととなっている陶土と釉薬について、中里先生よりお話いただきました。
釉薬の緑は銅、黄は鉄によって色が出ているとのこと。ふむふむ。
勉強になります。
みなさん、真面目にメモを取っています!
次は、平皿に釉薬を塗っていきます。
前のスクリーンに映し出した中里先生の手元を見ながら、いざ!
最初に白釉(焼くと透明になる)を塗って
緑釉を塗って
黄釉を塗ります。
今回は緑釉、黄釉の順で塗りましたが、塗る面積が多いほうの色から塗るとよいそうです。
次は浅小鉢。
こちらも同じ手順で塗っていきます。
縁も忘れずに!
釉薬の濃さや厚さなど、中里先生に丁寧に教えていただきました。
釉薬塗りの体験のあとは、中里先生より宗像大社所蔵の奈良三彩小壺(国宝)を復元されたお話を伺いました。
釉薬、焼成方法、焼成時間などさまざまな面において試行錯誤をされ、復元されたとのこと。
作品が出来上がるまでの大変さに改めて驚かされます。
貴重なお話を伺って、今回のワークショップは終了です。
後日、当館の電気窯で焼成した皆さんの作品の一部をご紹介します↓
絵を描く方、模様を描く方、釉薬の流れを楽しむ方、それぞれです。
焼成した作品は、後日、みなさんに当館まで取りに来ていただきました。
「釉薬を塗るのが楽しかったです」
「焼くとこんな感じになるんですね」
「思っていたのと違う〜」(いい意味で?)
など、いろいろな感想をいただきました。
焼成後、どんな出来上がりになっているのかも、やきものの楽しみの一つですね♪
オンラインと対面の両方で実施した「三彩」のワークショップですが、中里先生のご指導のもと、釉薬を塗ることの難しさ、楽しさを実感いただけたようで、スタッフ一同も嬉しい限りです。
唐三彩、奈良三彩は当館4階文化交流展示室の基本展示室と関連8室で展示中です。
ぜひ、ご覧ください!
今回は、オンラインでのワークショップの様子をご報告します!
「三彩」って?
そう思われた方も多いと思います。 今回のワークショップは、あまり聞きなれない「三彩(さんさい)」というやきものに触れて、やきものに興味を持ってもらおう!という企画です。 まずは「三彩」についてのお話を当館の今井研究員から。 「三彩」とは、ざっくりいいますと、3色の釉薬(ゆうやく)(「うわぐすり」ともいいます)、主に緑・黄・白(透明で、地の色を生かす)を使って彩ったやきものです。毎年恒例の留学生イベント、今年も11月3日に開催しました。
どのようなイベントだったのか、振り返ってみたいと思います。
すごく楽しかったですよ。
どーん!
いきなりですが、これは何でしょうか。かわいいですね〜
今年はみんなでこれを作りました!
みなさんは、「装飾古墳」という言葉を聞いたことがありますか。
きゅーはくのブログを小まめにチェックしている方ならご存じだと思いますが、
念のため、簡単に説明いたしましょう。
「古墳」とは、3世紀〜7世紀の間、日本各地で作られた大きなお墓のことです。
そしてこの古墳がたくさん作られていた期間を日本では「古墳時代」といいます。
中には、遺体を安置する石室の壁に絵や色々な文様が色鮮やかに
描かれている古墳もあり、「装飾古墳」といいます。
写真の中のかわいい絵柄が装飾古墳に描かれた文様なのです。
今回は、この文様をモチーフにしてプラ板でアクセサリーを作るワークショップを企画しました。
2年ぶりの対面ワークショップの留学生イベント!感慨深い!
用意されている席の数を見てください!
たくさんの方が申し込んでくださいました。ありがたやありがたや。
みなさんをお迎えする準備をしながら、スタッフもわくわくしました。
まず、国際交流員がきゅーはくのことを簡単に紹介して、
次は、研究員の岡寺さんが古墳について話しました。
みなさん、真剣に聞いていますね〜
そして、いよいよ装飾古墳文様のアクセサリー作り!
写真は作り方を説明している国際交流員です。
みんなアクセサリー作りに夢中ですね。
プラ板に好きな文様を描いて、色をぬります。
仕上げはスタッフがやりました。
プラ板を焼いて、焼いたプラ板の表面にレジン液を塗って、つやつやに仕上げます。
「みなさんの素晴らしい作品、きれいに完成させないと」とスタッフも頑張りました!
みなさんが作ってくださったもの、どれもかわいかったです!
完成品と一緒に国際交流員手作りの缶バッジもお渡ししました。
もちろん缶バッジも装飾古墳の文様をモチーフにしたものです!
ワークショップの後は、文化交流展と特別展を見ていただきました。
参加してくださったみなさん、ありがとうございました。
2年ぶりにみなさんと一緒に楽しい時間を過ごすことができて、
スタッフ一同、とてもうれしかったです!
来年、もっともっと楽しいことができますように。
また、お会いしましょう〜
]]>올해도 11월 3일, 유학생 이벤트를 개최했습니다.
어떤 이벤트였는지 함께 살펴볼까요?
정말 즐거웠답니다~
짠~
갑작스럽지만, 이 물건의 정체는 뭘까요? 귀엽지 않나요?
올해는 참가자 여러분들과 함께 사진 속 물건을 만들었습니다.
여러분은 ‘장식고분’이라는 말을 들어보신 적이 있으신가요?
규슈국립박물관 블로그를 챙겨보시는 분이라면 알고 계시겠지만,
만일을 위해 간단히 설명하겠습니다.
고분이란 3세기에서 7세기까지 일본 각지에서 만들어진 커다란 무덤을 말합니다.
고분은 일본어로 고훈(古墳(こふん))이라고 하는데요,
이렇게 많은 고분이 만들어진 기간을 일본에서는 고훈 시대라고 부른답니다.
그중에는 시신을 안치하는 석실 벽에 다양한 색채로 그림을 그리거나
여러가지 문양을 표현한 고분도 있으며, 이러한 고분은 장식고분이라고 합니다.
사진 속의 다양한 모양들이 장식고분에 그려진 문양이랍니다.
이번 이벤트에서는 이 문양을 모티브로
플라스틱 판을 이용해 악세사리를 만드는 워크숍을 기획했습니다.
2년만에 워크숍을 실시하게 된 유학생 이벤트! 감개무량하네요~
준비된 책상 수를 봐주세요!
많은 분들께서 참가를 신청해 주셨답니다. 그저 감사할 따름입니다.
참가자 여러분을 맞이할 준비를 하며 저희 스탭도 모두 두근두근 설렜습니다~
먼저, 국제교류원이 규슈국립박물관을 간단히 소개하고,
다음으로, 오카데라 연구원이 고분에 대해 설명해 주었습니다.
모두 집중해서 듣고 계시네요~
그리고 드디어 찾아온 장식고분 문양으로 악세사리 만들기 시간!
사진은 만드는 법을 설명하고 있는 국제교류원입니다.
모두들 악세사리 만들기에 열중하고 계시네요.
플라스틱 판에 마음에 드는 문양을 그리고 색을 칠합니다.
마무리는 스탭이 담당했습니다.
플라스틱 판을 토스터로 구운 다음, 표면에 레진액을 발라 매끈하게 마무리합니다.
‘여러분의 소중한 악세사리를 멋지게 완성시키자!’는 마음으로 스탭도 열중했답니다.
참가자 여러분의 악세사리, 모두 멋졌어요!
완성품과 함께 국제교류원이 직접 만든 배지도 나눠드렸습니다.
배지도 물론 장식고분 문양을 모티브로 만들었답니다!
워크숍이 끝난 후엔 문화교류전과 특별전을 자유롭게 관람하는 시간을 가졌습니다.
참가해 주신 여러분, 감사합니다!
2년만에 여러분과 함께 즐거운 시간을 보낼 수 있어서 스탭 모두 정말 기뻤습니다!
내년엔 더욱더 즐거운 이벤트가 되기를 바라며,
또 만나요~
]]>新冠的阴霾虽然还没完全散去,但随着疫情的不断好转,疫苗普及面的不断扩大,大家的生活也逐渐趋于正常。基于“with新冠“的新想法,九博在做好各项防疫措施的同时举办了一年一度的留学生活动,希望能给大家的留学生活带去些许活力!
今年的留学生活动以日本的装饰古坟为主题。分为以下三个环节:
? 古坟知识小讲座
? 挑战制作古坟花纹装饰品
? 展厅自由观展
“装饰古坟”!?“装饰古坟“是什么?很多人初次听到这个名字时,可能会满脑子问号。我也不例外。所谓的“古坟“,指的是于3-7世纪被建于日本全国各的坟墓。这个时期在日本被称为“古坟时代”。而墙壁上绘有彩色花纹的古坟便被称之为“装饰古坟”。
那装饰古坟的花纹能做出什么样的装饰品呢?让我们?快来看看吧!
是不是出乎意料的可爱呢!主要材料为塑料板和颜料笔。利用塑料板加热缩小变硬的特性来进行绘制,打孔,裁剪。并在加热完成后涂上树脂,让装饰品看上去更有光泽。制作方法并不难,大家掌握方法以后在家也能自己完成哟!
此外,为了让大家更加了解日本装饰古坟,我们还为大家设计了独一无二的纪念品,并特意制作了多语言解说书签。
为了让大家放心参加活动,我们精心准备。所需材料皆按人数准备,避免共享;在活动期间提醒大家勤消毒,保持间距,戴好口罩;所有工作人员全程佩戴一次性手套,尽量减少接触。手工活动的制作方法和图纹样式均有说明书以及参考资料可供参照。
好了,让我们?快通过照片来重温一下当日的欢乐时光吧!期待快点和大家的见面哇!!!
首先是简单的九博简介!紧接着是主任研究员带来的古坟小讲座。
紧接着就是大家喜欢的手工环节了。由国际交流员对手工流程以及所需材料进行简单的说明和讲解后,大家就开始设计属于自己独一无二的装饰品啦!
大家的设计都独具特色,十分精妙。不仅在装饰古坟花纹中融入了自己喜欢的人物和角色,还将大学名和九博设计其中,巧妙的心思真让人刮目相看!
本次活动一共有20名留学生前来参加,有约一半的参加者是第一次来到九州国立博物馆。希望和九博的初次邂逅给大家留下的体验是美好的,更希望这独一无二的手工制作活动会给大家的留学生活留下难忘而美好的一笔!
本着希望能让留学生更深入了解日本文化和九博的初衷,举办留学生活动已经成为了九博每年的惯例。明年也会吸取今年的经验企划更加生动有趣的留学生活动。希望疫情早日平息,届时大家能摘下口罩拍张美美的大合照呀!相约九博,我们明年不见不散~~
]]>Happy November, everyone!! This is Hui Lin, the English CIR here at Kyushu National Museum (Kyuhaku), and I’m back after a long break from blogging with a report on our annual exchange student event!
As some of you may already know, the CIR team organises a free event every year on 3 November (Culture Day) for international students, ALTs, and CIRs in Fukuoka. These events are generally meant to let participants learn about various aspects of Japanese history and culture in a more interactive way, be it through digital quizzes, tours of our back room facilities, or hands-on crafting workshops.
After a year of avoiding hands-on workshops and big group events while waiting for Japan’s vaccination programme to reach younger people, we finally felt as though it was time for us to bring the crafting workshop aspect of this event back into play!!! We decided to use decorated kofun tumuli (装飾古墳 sōshoku kofun) as our central theme, and for the crafting workshop portion, to let our participants try their hands at making heat-shrink plastic accessories. Before planning anything, we did some research into what kinds of motifs were common in decorated tumuli, then ran two rounds of internal trials to see if these activities were indeed beginner-friendly.
(Left) Ms Huang demonstrating how to begin designing; (right) drawing on the plastic sheets with Posca paint markers!
(Left) Full-sized drawings ready for the toaster; (right) shrunk down!
While playing with heat-shrink plastic sheets (they’re called プラ板 pura-ban here) seems to be a common kids’ activity in Japan, they’re definitely not something I tried doing while growing up in Singapore, so this was really exciting for me too! The general idea is this: you begin by drawing or tracing an image onto a sheet of heat-shrink plastic, and cut it out once you’re done designing. Place the cutout on a piece of baking paper and heat it in a toaster oven! It will shrink and curl up dramatically, giving you a product that’s about 1/4 the size of the original image. I had a lot of fun discovering how all these different designs and colours would end up looking on the final product!
We also enlisted the help of Mr. Okadera, one of our researchers specialising in archaeology, to give an introductory presentation on what kofun tumuli are, what their outer haniwa decorations are, and what sorts of motifs can be found within them.
For the unfamiliar, decorated kofun tumuli are a subset of large burial mounds built in Japan between the third and seventh centuries. These decorations were painted with vivid colours that have survived till present day, where they continue to amaze people who visit these sites in person!
Motifs from the Takehara tumulus (Image courtesy of Kawano Kazutaka, Head of the Curatorial Department)
After listening to Mr. Okadera’s presentation, we moved on to the DIY portion of our event.
Our participants were so creative! It was really nice seeing what they came up with - there were people who jazzed up the templates we provided, people who incorporated kofun motifs with their own ideas, and people who made entirely new designs on their own.
Our staff members helped to seal their designs with a thin coat of UV resin before returning the keychains to their respective owners. We also gave out little gift bags containing exclusive merchandise from our previous Special Exhibition, as well as our very own handmade can badges, which were designed and put together by us. We also made sure to include a short caption about each motif in all four languages. We went all out this year!
That brings us to the end of my report for this year’s event! We’re really glad that we could organise such a fun afternoon for our participants even though the pandemic isn’t over yet - well done, everyone!
If you’d like to sign up for next year’s Exchange Student Event, be sure to check out our website and Twitter closer to the date! We’ll see you next time 😎
]]>九州国立博物館のエントランスホールには、高さ10メートルを越える迫力ある博多祇園山笠の「飾り山」が飾られています。ご来館されたことのある多くの皆さんが、目にされているのではないでしょうか。この博多祇園山笠ともゆかりのある作品が、特別展「海幸山幸」に出品されています。その作品とは、11月9日からの後期展示に登場しました「無準師範像」・「円爾印可状」・「額字「勅賜承天禅寺」」(いずれも京都・東福寺)です。
鎌倉時代の日本に禅という“海幸”をもたらし、その定着にとても大きな役割を果たしたのが、円爾弁円(えんにべんえん、聖一国師)です。円爾は1235年、中国に渡り無準師範(ぶじゅんしばん)のもとで禅を学びました。熱心に修行に打ち込む姿は、お師匠の目にも留まったようで、なんと早くも2年後には、法を継ぎ修行を終えた証の「印可状」を与えられました。52センチ×1メートルの大きな絹布に書された印可状は、とても迫力ある堂々としたもので、無準が愛弟子のために調えた、特別なものであることが伝わります。ぜひ展示室で見てほしい!
1241年、円爾は日本に帰国し、博多や太宰府のあたりで禅を広めるために活動します。そして有名な博多の禅寺・承天寺を開きました。これを知ったお師匠・無準は、寺のお堂の額字を自ら揮毫し、円爾に贈ります。その一つが額字「勅賜承天禅寺」です。師弟愛、アツすぎます!印可状とはまた違う字で、色んな書体を書きこなしたんですねえ。達筆…!
国宝 額字「勅賜承天禅寺」 無準師範筆 京都・東福寺
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重要文化財 無準師範像 師古賛 京都・東福寺
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さて、その承天寺には「饂飩蕎麦発祥之地」という碑があります。「うどんは博多が発祥」「元祖うどん県は福岡たい」という、やおいうどん好き福岡県民の論拠ですね!これは、うどんやそば、饅頭などの製粉の技術を円爾が中国から博多にもたらしたという伝承に拠るものです。また最初にご紹介した博多祇園山笠。博多を代表するこの祭礼の起源は、疫病に襲われた博多の町を清めるため、円爾が施餓鬼棚に乗って祈祷水を撒いて回ったことだと言われます。まさに現在の私たちと同じく、昔の人々も疫病に苦しんだんですね…。コロナ禍で中止を余儀なくされた今年の博多祇園山笠の「舁き山」ですが、飾り山は実施されました。来年こそは疫病を払い、博多の町を疾走する舁き山も見れるよう願うばかりです!
博多に根付く聖一国師・円爾ゆかりの作品たち。ぜひ特別展「海幸山幸」をお見逃しなく!
]]>いきなり脱線ですが、皆さん、「浪花のモーツァルト」ことキダ・タロー先生の名曲(!?)、「かに道楽」の曲をご存じでしょうか?(知らない人は「かに道楽」で検索してみてください) その曲を頭の中で流して、次の画像をご覧ください。
この絵を見たとき、私の頭には「♪とれとれ、ぴちぴち」というメロディーしか出てきませんでした(わかってくださる方がいればうれしいです)。ただ、ここに描かれているのは見てのとおり、カニではありません。鯛、真っ赤なぴちぴちの真鯛です。この鯛、なんともおいしそうで、よだれが出てくるではありませんか!
鯛は、神話では、山幸彦がなくした大切な釣針をのどにひっかけていたとされています。特別展「海幸山幸」のキーパーソンならぬキーフィッシュです。ご存知のとおり、その赤い色彩や均整のとれた立派な姿、身のおいしさから、縁起のよい魚として人々に愛されてきました。七福神の恵比須さんが持っているのも鯛、私たちがめでたいときに頂くのも鯛ですね。
本ブログで紹介している「肥前国産物図考」ですが、唐津藩士の木崎盛標(きざきもりたか)が唐津藩(いまの佐賀県唐津市)の主要産業を、絵と解説を交えてまとめたものです。ご覧の画像は、地引網で大量の鯛を捕獲しているところです。「いやいや、こんなに大きな鯛、おるか!」とか、「こんなにとれるか!」とツッコミたくなるかと思いますが、このオーバーな表現に、唐津の漁業の繁栄ぶりがよく表現されているともいえます。浜の様子を見てみると、ピンク色の桃の花が咲きほこり、みんなはなんだか嬉しそうにしていて、おめでたい雰囲気と人々の喜びが伝わってくる絵です。
リアルではないけれども、非現実的な表現だからこそ伝わることもある。唐津の人々が海からの恵みを受けとって暮らしていたことをよく示している作品といえるでしょう。
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須弥山の上には、東西南北にそれぞれ8つの天界があり、頂上中央には帝釈天(たいしゃくてん)が住むという善見城(ぜんけんじょう)があります。これを合わせて三十三天といいます。その高さは8万由旬(ヨージャナ)。1由旬は諸説ありますが11キロとすると88万キロ。8848メートルのエベレストの約100倍ですね。
しかし、この須弥山儀が表わしているのは、インドの宇宙観の一部に過ぎないのです。須弥山の頂上からはるか上方に、夜摩天(やまてん)、兜率天(とそつてん)などいくつもの天界がとてつもない距離を隔てて重なっています。いちばん上にある天界までの距離は一説に120万由旬つまり1320万キロ。時速4キロで人間が休みなく歩いていっても376年かかる距離です。5回くらい生まれ変わらないと到着しませんね。ちなみに現代人のわたしたちが知る地球と太陽の距離は約1億5千万キロ。それと比べると10分の1だから、案外大したことないようにも、、、(いやいや、そんなことはない)。
ところで、皆さんは「三千大千世界」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。須弥山を中心とするこの広大な世界を一世界として、その千倍が小千世界、さらに千倍が中千世界、そのまた千倍が大千世界。全部ひっくるめて「三千大千世界」です。つまりこの須弥山儀が表わすのは、三千大千世界の10億分の1?
そして仏教では、宇宙にこのような世界が無数にある、というのだから、もう数えきれません。
科学の発達した現代でも、宇宙の広大さを正確に知ることはとても難しいのですが、古代インドで考えられた宇宙のスケールはこのように壮大なものだったのです。
さて、須弥山儀をみて気づかれた方もおられるでしょうが、これは天動説による考え方です。江戸時代にはすでに西洋の科学が伝わり、丸い地球や地動説も知られていました。
では、須弥山儀の元になる考え方を記す『仏国暦象論』(1810年)を著した天台僧の円通は、西洋の最新の知識を知らなかったのでしょうか?そうではありません。円通はそれらを学んだ上でなお、仏教にもとづく考え方が優れている、と主張したのでした。
現代を生きる私たちは一体、宇宙をどこまで理解しているのでしょう。
突然ですが、1975年に発売され、大ヒットとなった童謡「およげ!たいやきくん」をご存知でしょうか。たい焼き屋さんで焼かれ続けるたいやきくんが主役の切ない歌です。ある日、お店を逃げ出したたいやきくんは、広い海での自由な暮らしを手に入れます。しかし楽しい日々は束の間で、泳ぎまわってお腹ぺこぺこになったたいやきくんは、泳いでいたエビに食いつきます。実はそのエビはおじさんが仕掛けた釣針の餌で、釣りあげられたたいやきくんはおじさんにぺろりと食べられてしまうのです。子供心に悲しい気持ちになったことを覚えています。
今回の展覧会においても、鯛が重要な役割を果たしています。2人の神様の兄弟、海幸彦(兄)と山幸彦(弟)の物語を描いた「彦火々出見尊絵巻(ひこほほでみのみことえまき)」は、兄の海幸彦の釣針を弟の山幸彦が借りるところから始まります。
山幸彦は海辺に出て、兄の釣針で魚を釣ろうと海に糸を垂らします。その釣針に食いついたのが、綿津見神(わたつみのかみ)の国に暮らす鯛だったのです。辛くも糸が切れて、鯛は逃れることができましたが、喉には釣針が残されたままとなります。
鯛に釣針を持っていかれた山幸彦は、釣針を求めて綿津見神の国にたどり着きます。そこで綿津見神の娘と結ばれ、幸せに暮らしていました。しかし3年ほど経ったある日、釣針のことを突然思い出し、綿津見神の協力を得て捜索を再開します。
一方の鯛は、3年もの間、釣針が刺さったままでした。喉は腫れ、食べ物も通りにくい辛い日々だったでしょう。そんな鯛のもとに、綿津見神が釣針を探しているという情報が届きます。さっそく鯛は綿津見神のもとへ…。すると、医者は容赦なくやっとこを使って喉に刺さった釣針を引っこ抜きます。
無事に釣針は抜き取られて山幸彦の手に渡り、本来の持ち主である兄の海幸彦のもとに返されます。山幸彦と同じくらい、鯛もほっとしたにちがいありません。
「彦火々出見尊絵巻」には、鯛が釣針を抜かれる一連のシーンがコマ送りで描かれています。一つの画面に時間の経過を表わす手法で、異時同図法(いじどうずほう)と言います。鯛の苦しむ様子が巧みに描かれ、見ているこちらまで痛くなってきます。たいやきくんと違って、この絵巻に登場する鯛は食べられずに済んで良かったですね。
今回は以上です。次回もどうぞお楽しみに。
はじめに
前回に続いての実践編です。
私が展示室で撮るときにどんなことを考えているか、順を追って文章にしてみました。
まずは展示室を回ってお気に入りの作品を見つけます。
今回注目したのは「色絵葡萄栗鼠文有蓋壺」(江戸時代)。難しい名前ですが、区切ると多少は分かりやすい。「色絵という技法で
葡萄と
栗鼠の絵を描いた、ふた付きのつぼ」という意味です。高さは約47cm。
ぶどうとリスの組み合わせは、子孫繁栄を意味する縁起のよい図柄として伝統的に好まれたもので、江戸時代には陶器や絵画などに描かれました。
「色絵葡萄栗鼠文有蓋壺」の九博公式画像
1.展示されている様子
43mm F7.1 1/80 ISO2000
2.1つだけをフォーカス
75mm F5 1/60 ISO1250
3.明るい部分だけをアップ
75mm F9 1/60 ISO4000
4.ふたのリスを撮る
75mm F7.1 1/80 ISO2500
5.現像とレタッチ
この連載では博物館での撮影についてあれこれと解説してきましたが、実際に撮ってみないことには始まりません。私が展示室で撮るときにどんなことを考えているか、文章にしてみました。
まずは展示室を回ってお気に入りの作品を探します。
今回は古代インドの釈迦菩薩立像を撮ります。ひげを蓄えた彫りの深い顔が特徴的で、いかにも「イケおじ」という顔立ちです。そのカッコよさを表現できるように、このひとつの作品のさまざまな表情を撮ってみます。もっとも、仏像も人の形をしているので、基本的には人を撮るときとそれほど変わりません。
ちなみに、ガラスケースに入っていない露出展示なので、ケースの反射に悩まされることもなく、撮りやすくてオススメの作品です。
1.全身を撮る
1/50 F7.1 ISO4000
まずは普通に正面から全身を撮ってみます。ポイントは、(1) まっすぐ傾けずに撮ること、(2) ピントは目に合わせること。
被写体に力があるので普通に撮っただけでも絵になりますね。背景に映り込んでいる他の展示品も仏像という共通点があるので、違和感なく溶け込んでいます。
2.下から仰ぎ見る
1/100 F6.3 ISO6400
ちょっと視点を変えて、しゃがんで下から撮ってみます。こうしてみると仏さまの偉大さが強調されます。
3.バストアップ
1/100 F6.3 ISO6400
一般論として「人の顔を撮るときは正面を避けて少し斜めから撮ると美男美女になりやすい」と言われますが、これだけイケメンだと、正面からでも充分に写真映えします。
4.やや斜めから
1/80 F5 ISO2500
セオリー通りに斜めからも撮ってみます。
全身写真を見てのとおり、この仏像はやや等身が低いのですが、ひざから下を写さないことですらっとした印象になります。
5.特徴的なパーツを撮る
1/100 F6.3 ISO6400
仏像の指には「手足指縵網相」という膜があって、人々を漏らさずすくうとされています。よく観察してみるとこの仏像にもありました。そういうちょっとした知識があると、見どころ・撮りどころを探すのにも役立ちます。
なお、照明は上から手の甲に当たっていて、手のひら側は陰になってとても暗かったので、画像編集で手のひらだけを思いっきり明るくしています。
1/100 F6.3 ISO6400
足元に視線を落とすとサンダルに可愛らしい獅子がいました。せっかく撮るなら隅々まで観尽くしてやりましょう。服の裾の表現も秀逸です。
昨年度に引き続き、今年度も絹にまつわるオンラインワークショップを8月に実施しました!
昨年度の様子はこちらのブログからご覧いただけます。
http://kyuhaku.jugem.jp/?day=20210514
「絹の体験教室 KURUKURU SILK」は、絹の原材料である繭(まゆ)から、どうやって絹糸などが作られるのかを体験してもらいたい!ということで企画されました。
今回、行ったのは「糸紡ぎ」。
繭から真綿(まわた)を作り、紡錘車(ぼうすいしゃ)を使って糸を紡ぐ体験です。
木綿や獣毛ではなく、絹でできた綿のことを真綿といいます。
↓当館博物館科学課が撮影した真綿の拡大画像です。きれい!!
紡錘車とは糸を紡ぐための道具で、弥生や古墳時代の遺跡からも出土しています。
出土したものを見ると、土や石など様々な素材でできていることがわかります。
↓下の写真は、北部九州の弥生時代の遺跡から出土した紡錘車を参考にしながら、当館職員がオーブン粘土で作った紡錘車(円盤部分)です。
棒の部分は木などの有機物だった可能性が高く、今回は割り箸を使用しました。
実施にあたり、昨年度から継続的に各地の絹や養蚕に携わる方々への調査を行い、ワークショップの内容を検討してきました。
今回は、主に滋賀県の山脇源平商店様の角真綿の製法を参考にさせていただきました!
角真綿とは、煮た繭を手作業でムラなく引き延ばし、四角い木枠に重ねて掛けて乾燥させることで出来上がる真綿のことです。
大きく引き延ばして真綿布団などに使用されます。
こちらで触らせていただいた角真綿は、本当に軽くてふわっふわでした。
繭が手に入れば(洗顔用などでもOK!)ご自宅でもできるということで、ワークショップ実施前に「おうちdeきゅーはく!」の第16回で繭からの糸紡ぎを紹介しています。
この動画で体験をイメージしてもらって…いざ、ワークショップの参加者を募集(先着順)!したところ…
募集をスタートして2日間で定員に達してしまいました!これは予想外!
応募に間に合わなかった方々申し訳ありません!
当日は和気あいあいとした雰囲気で、皆さまに楽しんでいただけたようです。
リラックスしながら出来るのもオンラインならではですね。
職員もリラックス…しつつ真面目に楽しみました!
オンライン上では背景は合成で、桑畑になっていました↓
蚕を育てている方、桑の葉を育てている方、木綿を育てている方なども参加され、蚕の飼育中の様子などを見せていただき、こちらも大変勉強になりました。
今回は古代から続いている「人とお蚕さまとの関わり」を実感していただきたかったので、さなぎが入っている状態の繭で体験していただきましたが、真綿はカットした状態の繭でも作ることもできます。
紡いだ糸というのは文化財にも使用されていて、当館所蔵の「独楽帖」もその一つです。
この作品の一部、「撫子文様仕覆裂」という端切れは真綿を紡いだ紡ぎ糸で織られたもの。
2021年9月22日〜10月31日に当館4階の文化交流展示室にて展示されますので、ぜひご覧ください。
「絹の体験教室KURUKURU SILK」は冬も開催予定です!
お楽しみに!
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今回は、私と同じくカメラ好きのマニアックな方に向けた博物館撮影のコツ紹介です。
もっと上手な方もたくさんいるでしょうから、「私はこう撮っています」というくらいの参考に。基本的なカメラ用語は分かっていることを前提にしています。
はじめに、私が作品単体を撮る場合によく使う基本設定はこんな感じです。
・焦点距離:50mm〜75mm(35mm換算)
・F値:F5〜F8
・SS:1/50〜1/100
・ISO感度:〜8000
・色温度:2800K〜3200K
1.まずはレンズ選び
おすすめは焦点距離50〜100mm程度の標準レンズ〜中望遠レンズです。
広角レンズだと作品の形が歪んで写ってしまいます。また、作品自体が小さいものが多いので、ある程度の焦点距離がないと小さくて何が写っているか分からなくなってしまいます。
なお、「博物館は暗いから明るいレンズ(最小F値が小さいレンズ)を使おう」と考える人もいるでしょうが、F値を下げすぎると撮りたい作品自体がボケすぎてしまいます。私はF5でも充分だと思っているくらいで、実は明るいレンズの本領はあまり発揮できません。
2.シャッタースピード優先モードがオススメ
ご存じのとおり、博物館は基本的に暗いもの。作品の色あせなどを防ぐためなのですが、写真を撮ろうと思うと難敵です。
特に中望遠レンズでオートだと手ぶれの危険性が高まります。シャッタースピード優先(S・Tv)モードを使いましょう。一般的には「1/(焦点距離)」だと手ブレしづらいと言われますので、私は1/60〜1/80あたりを使います。とはいえ、少しでも明るさを稼ぎたい博物館にあっては75mmを1/40で使うこともしばしば。カメラを持つ脇をしめて、息をとめて、動かないようにシャッターを押します。
ブレていると何がなんだか分からない
3.ISO感度や露出補正で明るくする
シャッタースピードを速くすると画面は暗く写ります。そこで、ISO感度や露出補正の数字を大きく設定することで明るくします。ISO感度を上げすぎるとノイズが出やすいので、カメラ性能と相談して適当に調整しましょう。
室町時代に将軍が外交文書に使っていたハンコを対馬の領主が偽造したもの。これを使ってニセモノの外交員を派遣していました。もともとの色が暗いうえにちょうど印面が影になっていたので、思い切って感度8000まで上げてみました。
やっかいなことに、展示室や作品ごとに明るさは微妙に違うので、細かな調整は必須です。しかも、全体的には暗いのにスポットライトが当たっている部分だけとても明るい、ということも。もっとも、趣味の博物館撮影にあっては、そのあたりを調整するのも楽しさですね。
4.F値は小さくしすぎない
暗い場所で撮るためには、絞り優先(A・Av)モードでF値を小さく設定する方法もあります。ただ、これは博物館ではあまりオススメできません。
F値を小さく設定すると、明るくなると同時にピントが合っていない部分のボケも大きくなります。それでいい感じの写真になることもありますが、博物館で作品を撮る場合は、できれば細部までくっきり写したいことのほうが多いのです。
下のほうがボケすぎて違和感
江戸時代、朝鮮人参は薬として高価で取引され、なかでもこの写真のように人の形をしたものは珍重されました。右の紙には「対馬の役人が人の形をした人参を発見して殿様に献上した」というようなことが書いてあります。
せっかくならその形をしっかり写したいところ。また、文字がボケていると読めそうなのに読めなくてなんとなくモヤモヤします。上の写真はF2.8で撮りましたが、もっと絞って撮ったほうがいい写真になりそうです。
基本的には絞り優先モードは避けて、シャッタースピード優先モードで撮るほうがオススメです。なお、私がマニュアルモードで撮る場合には主にF5〜8を使っています。
5.ホワイトバランス(色温度)は好みで
白熱灯モード(3000K前後)に設定すると、作品の本来の色に近い写りになります。
晴天モード(5000K前後)で撮ると、展示室内の照明の色の影響でオレンジ色に映ります。それはそれで博物館っぽさが出て必ずしも悪くはありません。
プロカメラマンがカタログのために撮る場合には作品の色を正確に写さなければなりませんが、私たち趣味の撮影にあってはそういう縛りはありません。最終的には自分の好みに合わせて撮ってみましょう。
色温度 5200K(昼光モード)
色温度 2800K
長崎県立壱岐高等学校東アジア歴史・中国語コース
「中世壱岐の深江田原平野の衰退原因に関する一考察」
もはや常連の壱岐高校。2年以上に及ぶ取り組みの成果を発表しました。自分達が行った発掘調査の成果から出発し、出土遺物の分析から壱岐の中心の移動、現地勢力の衰退という事象を導き出しました。そして、その原因を文献史料で確認することができたそうです。考古学的調査の成果が文献で裏付けられたわけですね。パワーポイントを使った分かりやすい説明でした。
法政大学第二高等学校社会科学・歴史研究部
「甲斐武田氏の津久井侵攻と街道からみる深大寺城再興の目的」
初参加の法政第二高。廃城となっていた深大寺城が戦国期に再興された原因を、周辺の大名の関係性と街道などの地理的条件から結論づけました。歴史ファンの間で幕末と人気を二分する戦国期ですが、歴史学フォーラムでは意外と取り上げられることがなかったので、新鮮な印象でした。図示の仕方が分かりやすく、大変上手にまとめられたポスターでした。また、文献だけに頼らず、フィールドワークも行った点がよかったと思います。深大寺城再興の甲斐はあったのかどうか、その後の展開が気になりました。
栃木県立矢板東高等学校リベラルアーツ同好会 「栃木県北部における烽跡の推定」
矢板東高も初参加です。古代から情報伝達の方法として採用されていた烽。各地に設置されていたことが記録にありますが、実際にどこであったのかは不明な場合がほとんど。これまでに自治体が行った発掘調査の成果や自分達のこれまでの研究成果を基に、フィールドワークを行って烽の設置場所を推測しました。机上の推測にとどまらず、フィールドワークで高低差などを確認した点がよかったと思います。今後の発掘調査などで、この推測が立証されると嬉しいですね。
福岡県立八幡高等学校 「歴史上における関門海峡の地理的重要性について」
こちらも初参加です。製鉄の町、八幡にある学校です。現在も交通の要衝である関門海峡。この場所が如何に重要であるかを歴史上の出来事を絡め、様々な観点から検証しました。関門海峡が日本史の上に、いつ、どのように登場するのかを丁寧に追っていくと、さらに面白い事実が見えてきたかもしれません。分かりやすい例えを交えるなど、大変上手な説明でした。
九州産業大学付属九州産業高等学校史跡探索研究部
「九州最古!?あの夏目漱石も愛した!筑前国二日市温泉」
初参加の九産高校。学校に近い二日市温泉を取り上げました。二日市温泉は本当に九州最古なのか、二日市温泉の人気度はどのくらいだったのか、街道や宿場町、太宰府天満宮との関係は?発表を聞いて、温泉のように知りたいことが湧いてきました。フィールドワークも取り入れて、二日市温泉をさらに探索してもらいたいです。
今回は全10校のうち、6校が初参加でした。常連校はそれぞれの学校が持つスタイルがうかがわれ、受け継がれているものを感じました。初参加の学校の発表もとても面白く、来年以降もぜひ参加してもらいたいと思っています。
]]>いろいろと心配なことが多い状況でしたが、先日「全国高等学校歴史学フォーラム2021」をなんとか開催することができました。
ご発表くださった高校生の皆さん、引率の先生方、ご来場くださったみなさん、ありがとうございました。
今回は、説明タイムを午前の部と午後の部に分けました。午前の部の研究から紹介します。
群馬県立高崎北高等学校JRC部歴史研究班
「現代における庚申信仰のあり方と課題〜古墳、城から転用された祭場に着目して〜」
高崎北高は初参加です。JRCとは、Junior Red Crossの略で、青少年赤十字という意味です。新型コロナの影響で奉仕活動を行うことができないため、歴史研究に取り組むようになったのだとか。部員3名で取り組んだ調査と研究の成果を発表しました。
場の利用目的の変遷を追った面白い研究でした。研究対象に選んだ天子塚古墳を自分達で簡易実測したそうです。実測図、見たかったですね。もとは古墳だった場所が中世の城の一部になった理由を古墳の神聖性と結びつけていましたが、ここは見解が分かれるところではないでしょうか。城郭建設地を選ぶ時の条件がいろいろあったはず。さらに客観的な情報を集めて分析を進めてほしいです。
福島県立相馬高等学校郷土部 「福島県相馬市の官軍墓地〜戊辰戦争の記憶〜」
3回目の参加になりました相馬高校郷土部。郷土と書いて「ごうど」と読むそうですよ。
相馬市内にある官軍墓地の調査結果報告でした。筑前藩が派遣した兵士の墓があること、官軍と戦った仙台藩士の墓地との違いがそのまま立場の違いを表していることが興味深かったです。さらに調査事例を増やして、多角的な分析ができるといいですね。官軍墓地に関する古記録のコピーを来場者が見られるようにした点がとてもよかったと思います。
奈良県立橿原高等学校考古学研究部
「現代人から見る弥生絵画〜人物画をデータ化する〜」
本フォーラムの常連、橿原高校考古研は、「弥生土器に描かれた人物の絵は上手いのか下手なのか」というところから始まった、弥生時代の人物画に関する研究でした。データ化する人物画をさらに増やしていくと、また違う傾向が見られるかもしれないし、考古研の見解が補強されるのかもしれません。ぜひ、データの基になる資料数を増やしてみてほしいですね。データ化した土器の写真を手に取って見られるよう準備した点がよかったですし、テンポ良く分かりやすい説明でした。
埼玉県立熊谷西高等学校 「皇女和宮と口紅と将軍家茂」
初参加の熊谷西高。はるばる太宰府までやって来たので、着物を着て発表しました。
「皇女和宮が降嫁の際に持参した紅は地元埼玉県桶川産」との仮説を立てて調査を進めていったところ、なんと紀州産だったことがわかったそうです。それではなぜ紀州産だったのか。十分に掘り下げることができず、課題が残ったそうですが、歴史研究の面白さに気づいてしまったようですね。紅餅や紅の実物を展示した点、人物の関係性を図示した点がわかりやすくてよかったと思います。
福岡県立糸島高等学校歴史部
「江戸時代の疫病と考古資料〜イトシマを舞台として〜」
最多出場の糸高歴史部。これまで歴史部が積み重ねてきた石工と石造物の調査成果とタイムリーな課題、疫病との関係に着目した研究でした。「疫病の流行が収まった後は快癒御礼の石造物の奉納が増えるのではないか」という仮説を立て、石工と石造物の数の変遷と疫病の流行を照らし合わせたそうです。概ね、仮説は正しかったようです。過去の調査成果を終わったものにしてしまわず、新たな視点で新しい研究の礎にできた点がとてもよかったと思います。
]]>せっかく九博まで来たなら、展示室以外も見逃さずに撮っておきましょう。
お花を手入れしてくれているのは「九州国立博物館を愛する会」の皆さん
露出は外に合わせて、館内は現像で明るくします
2.あじっぱを撮る
1階にある無料の体験型展示室「あじっぱ」は、アジアを中心にさまざまな国の衣装・工芸・雑貨・生活用品などを展示しています。本来は触ったり遊んだりできるのですが、現在は新型コロナの影響で休止中。その分、写真は撮りまくりましょう。
おうちで楽しめる工作キットもあるので、持って帰って自宅で作って撮るのも楽しいかも。
3.緑を撮る
九博職員にとって出退勤時にイノシシとかイタチとかを見るのは日常茶飯事。というと言い過ぎですが、声くらいは聞こえます。つまり、文化財だけでなく季節の自然も撮れてしまう欲張りスポットなのです。春には桜並木も咲き誇ります。
敷地内のヤマモモ
4.何度も展示室に通う
同じ場所に何度も通うことで、そこでの撮り方が体で修得できるということがあります。九州民の我々が北海道旅行で撮った一発勝負の写真より、北海道を知り尽くした北海道民のほうが一般的にはいい写真が撮れるわけです。私が撮影した写真も、失敗を繰り返しながら何度も展示室に通ったことで撮れたものばかりです。
「そんなこと言われても入館料かかるんでしょ」という方に、文化交流展示室に何回でも入れて、特別展まで見れてしまうというお得な年間パスポートのご案内。
5.展示替えを熟知する
「常設展なんか何回も来たって同じものしか展示してないでしょ」と思いがちですが、実は九博の文化交流展はめちゃくちゃ展示替えをしています。この連載は主に2021年5月〜7月に撮った写真を使っていますが、その多くは展示替えされて今では見ることができないほど。
新しく展示されたものもそれはそれで良いものですが、特にお目当ての作品がある場合は、事前に展示スケジュールを確認することができます。なお、事情により急遽スケジュールが変更になることもありますのでご了承ください。
掛け軸のような壁掛けの平面作品は、作品とまっすぐ正面から向き合って撮ると綺麗。
パッとカメラを出してサッと撮ると、ナナメに傾いた写真が撮れて家で後悔することになります。恥ずかしがらずにゆったり構えてシャッターを切り、ちゃんと撮れているかその場で確認しましょう。
7.トリミング前提で撮る
展示作品は、数cmサイズの小さなものもあります。できる限り近づいて撮っても、小さすぎてよく分からない、ということも。そんな場合はあとでトリミングしちゃいましょう。
8.余白を活かす
7とは逆に、小さい物を小さく写すのも写真の面白さ。
9.解説文や他の展示品と一緒に撮る
これまでは作品単体で撮ってきましたが、解説文と一緒に撮るのも博物館らしさが演出できます。解説文の文字までくっきり写そうとすると設定が難しいので、私は「なんとなく解説文らしいものがあって博物館ぽいな」くらいで撮ることも多いです。
10.展示空間を撮る
作品の並べ方や展示室の空間構成にも学芸員の工夫が詰まっています。一歩引いて、展示空間を撮ってみるのもいいでしょう。特集展示「范道生」のカッコいい会場入口
1.カメラかスマホか
よく聞かれますが、どっちでも構いません。好きなほうで撮りましょう。
今回ご紹介するコツはカメラでもスマホでも使えます。
2.展示品の「決め顔」を捉える
いい写真を撮るためには、風景でも人物でも博物館でも、まずは被写体の観察です。カメラを出す前に自分の目でじっくり見て、その展示品のどこが魅力的かを考えます。
たとえば、普通に立ったままカメラを構えると、多くの場合は上から展示品を見下ろすことになります。それでイイ感じになることもありますが、「ただ撮っただけ」感がぬぐえないことも。周りに気を付けながら、立ったりかがんだり、近づいたり離れたり、ぐるぐる回ったりしながら、その作品の最高の決め顔を探しましょう。
ただ撮っただけ感が否めない
視点の高さをあわせるといい感じ
3.写り込みに気をつける
展示品の大半はガラスケースに入っています。肉眼では気にならなくても、写真だと、ガラスケースの反射とか被写体の奥の展示物とかが写って気になります。
たとえばこういう写真。写り込みたくさんのイマイチ写真
写り込みの少ない角度から撮影
4.やや望遠で撮影する
カメラの構造上、広角レンズで撮ると形がゆがんで写ります。下の写真は、広角レンズと中望遠レンズで同じ大きさになるように撮影したものです。鬼瓦や展示台の縁を見比べると、広角レンズでは台形型にゆがんでいることがわかります。
広角28mm
やや望遠75mm
5.自由に発想を広げる
4では形を正確に写すためにやや望遠で撮ることをオススメしましたが、趣味で博物館と撮影を楽しむ私たちにあっては、別に色も形も実物に忠実でなければいけないという縛りはありません。自分がいいと思うように撮ればよいのです。
気に入った部分だけを撮るとか、形だけに着目してみるとかもアリです。創造力を働かせながら楽しく展示品を観て楽しく写真を撮りましょう。
とはいえ、展示室は作品保護と目での鑑賞を優先しているので、写真を撮るのに向いた環境ではありません。私も趣味で写真を撮っているので小躍りして展示室へ向かったものの、それはもうピンボケとかブレブレとかを量産して散々なわけです。
ただ、何度も通って試行錯誤した結果、展示室でのイイ感じの撮り方がなんとなくわかってきました。先輩研究員からも「そんなに写真撮るのが好きならブログとかで書けばいいじゃない」と奨められたので、せっかくだからこのブログで何回かにわけて皆さんにも共有したいと思います。
初回はまず、九博の展示室でこんな感じの写真が撮れたよ〜という写真をお見せしましょう。
なお、この連載記事で使う写真はすべて、学芸員でもカメラマンでもない一般職員が、通常の開館時間にお客様とまったく同じ条件で撮影したものです。
模造 無著菩薩立像 明治時代 ※
(原像:奈良・興福寺所蔵、鎌倉時代)
短刀 銘関住人兼吉 明治時代
土偶 縄文時代 ※
端物切本帳 江戸時代 ※
「模造 螺鈿紫檀五絃琵琶〈らでんしたんのごげんびわ〉」の作り手たちを紹介するコーナー、
「言葉と道具と記録と」を、教育普及担当がお伝えします。
こちらのコーナーの概要は一つ前のブログ前編をご覧ください!
今回は特別にご協力いただいた製作者の方々を、1人ずつご紹介しますよ〜。
1人目は、指物〈さしもの〉師の坂本曲齋(三代)先生です。
坂本先生は、五絃琵琶の木材部分を形作りました。
お借りした道具は、手のひらサイズのとても可愛らしい豆鉋〈まめがんな〉5点です。
製作するものに合わせて道具を手作りされるそうで、一つ一つ形が違います。
五絃琵琶に使われている紫檀という木材は非常に硬いので、普通の鉋のようにスーッとかけるのではなく「こそいでいく」…とのことでした。
インタビュー内では、坂本先生と同じく正倉院宝物の修理・再現模造製作に携わった先代やご自身のお子様とのご関係を語られる場面も。
最新の研究によって五絃琵琶は、音が鳴る構造であったとされています。
外側から見えない内部の構造が音が鳴るのに重要な部分なのですが、坂本先生は楽器を製作するのが初めてだったそうで、雅楽を研究されている方とともに製作をされました。
会場では、展示されている五絃琵琶を実際に演奏したときの見事な音色を聞くことができますよ!
本体の成形ができたら、木工芸家の新田紀雲先生が螺鈿や玳瑁のはめ込み部分を製作します。
象嵌〈ぞうがん〉という工芸技法で、五絃琵琶は木材に螺鈿や玳瑁がはめ込まれています。
お借りした道具は、象嵌に使われたハンドドリルと錐です。
この錐は、鼠刃錐〈ねずみばぎり〉といって先端がフォークのように三つに分かれているもの。
なぜ、鼠刃錐を使ったかというと、宝物に鼠刃錐と同じような跡が残っていたからだそうです!
古代の製作跡が残っているなんて驚きですね。
五絃琵琶の転手部分(本体に差し込まれた絃を巻く部分、5本)は螺鈿が木の表面と面一〈つらいち〉で揃っていて、浮き出たところがありません。
ですが、他の部分は約0.1mm、木の表面よりも螺鈿が浮き出ているように、はめ込み部分を調整しています。
これも宝物を忠実に再現しています。
絶妙な技術を、実際に見て確かめてみてください!
はめ込むための螺鈿や玳瑁の製作は、漆芸家の北村繁先生がされました。
北村繁先生の父である北村昭斎先生は、同じく漆芸家で無形文化財保持者です。
製作の最初の調査から参加されていて、ご自身の知識や経験から製作に関わる様々なご提案をされたそうです。
これまでも国宝の修復などを行っており、そこで培ってきた技術を繁先生にも伝え、製作は繁先生が担いました。
お借りした道具は、螺鈿の配置図と毛彫刀2本、糸鋸刃の試作です。
毛彫刀は螺鈿と玳瑁に描かれている文様を線刻する際に使われました。これも北村繁先生の手作りです。
糸鋸刃の試作は北村昭斎先生がギターの絃から作った、市販品とは異なる鋸刃です。
昭斎先生は、古代の匠の厚貝〈あつがい〉を切った方法を研究されました。
確かに、電動道具もない時代に貝をどのように細かく加工したか気になります。
断定はできないそうですが、試作した糸鋸刃で貝を切ると、宝物の貝の切り口に非常に良く似ていたそうです。
切り口からも、様々なことがわかるんですね。
宝物の製作方法の奥深さがわかる貴重な資料です!
そのように長い時間をかけて先生自身が研究を繰り返していました。
玳瑁に彩色した絵画模写師の松浦直子先生も一緒です。
展示しているのは玳瑁〈たいまい〉の落帯部分の試作です。
落帯部分は五絃琵琶の一番底の部分で、裏から彩色された玳瑁がはめ込まれています。
鼈甲〈べっこう〉を想像していただけたらわかると思いますが、無色ではなく黄味がかっていてまだらな模様もありますよね。
その点も考えながら、宝物の色味に近づけるべく何度も顔料の調合など実験を繰り返したそうです。
落帯部分は、実際の宝物では欠損していたので、最新の研究も参考に復元したそうです。
明治の再現模造とは彩色の仕方が違いますので、見比べると非常に興味深いですよ!
最後に、五絃は滋賀県長浜市にある和楽器糸製造会社の丸三ハシモト株式会社様が製作しました。
インタビューは、製作者でもある現社長の橋本英宗様に答えていただきました。
絃は絹糸でできています。
こちらも音を奏でるのに重要な部分ですね。
小石丸〈こいしまる〉という品種の繭から絹糸が作られました。
この繭は上皇后陛下が皇居内において、お育てになられた繭を御下賜いただいたものです。
お借りした独楽〈こま〉という道具を絹糸の端にくくり付けて、壁面の絵のように木の板で独楽を回すことで、絹糸に撚り〈より〉をかけていきます。
独楽は木製で、重さによって絃の撚りのかかり具合を調整するそうです。
手作業で作られているんですね。
5本ある絃のうち一番太い絃に使用した一番大きい独楽は、明治創業からずっと会社にあったものだとか!
部分的に木が割れているところもあり、歴史を感じます…。
今回はその独楽もお借りして展示しています!
それぞれの先生方のインタビュー映像を聞き、道具等を見た後で作品の前に立つと、また違った視点で鑑賞を楽しむことができると思います。
どうぞ体験してみてください!
本展は6月13日(日)までの開催です!
]]>御大典記念 特別展「よみがえる正倉院宝物−再現模造にみる天平の技−」の会期も、残すところあとわずかとなりました。
【6月13日(日)まで】
今回は「模造 螺鈿紫檀五絃琵琶」の作り手たちを取り上げたコーナーをご紹介します。
本展覧会は巡回展ですが、こちらのコーナーは九博会場のみの企画ですので必見!
「模造 螺鈿紫檀五絃琵琶〈らでんしたんのごげんびわ〉」は、ポスターやチラシに掲載されている作品。
螺鈿細工や、玳瑁〈たいまい〉というウミガメの甲を加工したもので装飾されていて、とても華やかです。
もとは、奈良時代より伝わる正倉院宝物を代表する逸品で、現存する最古の五絃の琵琶だといわれています。
明治と平成に「再現模造」製作が行われ、本展ではその両方を並べて展示しています。
正倉院宝物って何?再現模造って何?
と疑問に思った方は、こちらの展覧会ページをご覧ください!↓
九州国立博物館 | 特別展:「よみがえる正倉院宝物 - 再現模造にみる天平の技 - 」 (kyuhaku.jp)
さて、平成に製作された「模造 螺鈿紫檀五絃琵琶」は、製作期間8年、調査や材料調達期間を含めると15年ほどの歳月をかけて完成しました。
一つの作品に、15年です…!
製作には、複数の作り手が携わりました。それだけ、たくさんの技法が使われているわけですね。
「言葉と道具と記録と」
こちらがその作り手たちのコーナーの入り口です。
入り口の前では「模造 螺鈿紫檀五絃琵琶」の製作風景を上映中。
6名の製作者たちのインタビュー映像と実際に製作に使われた道具や試作品を展示しています。
壁面には製作風景を模したイラストと、インタビューから抜粋した製作者たち自身の言葉が書かれています。
作り手の視点から、再現模造製作について知ることができる貴重な機会となっています。
*インタビュー映像*
製作者インタビュー映像は、ダイジェスト版でどれも約10分ほど。
フルバージョンは当館の公式youtubeにて公開されています。
https://www.youtube.com/watch?v=VxluC9cbWkM
現代の伝統工芸や文化財の修理などを担う匠たちですから、とにかく失礼のないように…質問内容を事前にお渡しし、ガチガチに緊張しながら挑みました。
が、皆さん快くとても丁寧にご対応いただきました!
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という言葉が頭に浮かびました。
インタビュー映像では、そのような製作者たちの人柄や製作にかける思いに触れることができます!
ぜひ、ご覧ください。
次回は、6名の製作者の方々を1人ずつご紹介します!
後編へ続く…
]]>为纪念新天皇即位等皇室庆典,九州国立博物馆于4月20日至6月13日举办特展--“正仓院宝物之神韵转世--精仿重现奈良时代巅峰工艺”。本特展以体现奈良时代巅峰工艺与美的正仓院宝物精仿品为着眼点,展示了包含可演奏的精仿乐器“螺钿紫檀五弦琵琶”等约90件展品。
所谓的“正仓院宝物”指的是收藏在奈良东大寺正仓--正仓院中,历经1300多年保存下来的逾9000件宝物。宝物历经千余年由正仓院传承而来,十分珍贵且易损。每年,仅有一部分宝物会在由奈良博物馆举办的“正仓院展”中进行展示,供来客欣赏。除此以外,几乎没有机会一睹正仓院宝物的风采。而在此次的特展中,九州国立博物馆不仅展示了重现奈良时代巅峰工艺的正仓院宝物精仿品,还对精仿品的制作过程做了详细的解说。可以说本展是一场既能感受宝物美轮美奂的视觉盛宴,又能了解宝物构造内涵的知识之旅。机会难得,不容错过!
说到“精仿品”,大家可能会联想到用劣质材料仿制的赝品。但正仓院的精仿品在匠心巧用的同时采用高端的科学仿制工艺。做到了真正的“还原”。
正仓院事务所的仿制工作于1972年正式开启。它和以往的仿制工作的不同在于运用了各种分析设备和光学机器来进行调查,然后根据科学的调查结果来进行仿制。不仅在外观上要求与实物高度相似,在材料,构造,工艺上也力求与真品一模一样。可谓是名副其实的“正仓院宝物的神韵转世”!
日本作为自然灾害较为频发的国家之一,没有人能保证能永远将珍贵的宝物完好无损的传承下去。此次对正仓院宝物的仿制恰好是有备无患,从某种程度来说也体现了日本人高度的危机意识。且通过对宝物进行科学的分析,使研究员对宝物有了更深刻的了解,更有助于对宝物的研究,修复以及保存。
(一)
为了让大家能更好的感受精仿品之美,理解正仓院宝物之珍贵,我先带大家去揭开正仓院和正仓院宝物的神秘面纱吧!
正仓院的由来
据悉,正仓院被建立于日本奈良平安时代,主要用于存放中央,地方政府以及官寺收藏的重要物品。正仓分为好几栋,这一系列的建筑统称为正仓院。但随着岁月的流逝,各处的正仓逐渐消亡。只有东大寺正仓院内的一栋正仓保留至今,且风姿不减当年。正仓院的建造材料以圆柏为主,单层,方形筒瓦屋顶,属高地板式建筑。正仓门面宽约33米,侧面长9.4米,地板下面约高2.7米,是建筑总高度约为14米的大型建筑物。地板下面直径约为0.6米,立于自然基石之上的多根圆柱有序排列支撑着正房。风姿雄伟,让人不禁感叹:真不愧是奈良时代第一大寺庙—东大寺的正仓啊!
仓院正仓 外观 正仓院事务所藏
此外,正仓分为三个仓,自北起依次为北仓,中仓和南仓。北仓和南仓由大的三角木材呈井字堆积而成,中仓则利用北仓的南面墙壁和南仓的北面墙壁作为南北两侧,再以较厚的木板用作东西两面的墙壁建造而成。每个仓的东侧都设有入口,且内部皆为两层。北仓主要用于存放光明皇后奉献的宝物,且开仓需要取得天皇的许可,因此也被称为“敕密封仓库”。 室町时代以后皆用天皇亲笔署名的封条进行封闭。中仓和南仓存放着其他与东大寺相关的一些物品。其中中仓按照北仓敕密封仓库的标准进行管理。而南仓起先是由监督各寺庙的和尚实施封印管理,但明治以后南仓也成了敕密封仓库。由此可见,打开正仓院绝非易事。如今,正仓院由宫内厅正仓院事务所负责管理。
正仓院宝物的来源
日本奈良时代的天平胜宝八岁(75)6月21日(8世纪中期),是圣武天皇逝去49天的忌日。光明皇后为了替圣武天皇祈求冥福,将其生前珍爱的61件宝物以及60种药物敬奉给了东大寺的盧舎那仏大佛。所奉献之物均收藏于东大寺的正仓内。这便是正仓院宝物的来源。除此之外,正仓院还藏有发佛开光会等,在东大寺的重要法会上被使用过的佛具,以及自那200年以后的平安时代中期(天历4年)(950),从东大寺的法华寺的仓库转移到正仓的日常用器具等。这些宝物和光明皇后奉献的物品一起被珍藏起来。由此,正仓院宝物初具雏形。
正仓院将宝物完美保存的奥秘
正仓院的宝物至今都保存着良好的状态。且绝大多数都被成套的,完整地保存了下来。其很大程度要归功于正仓院需要的到天皇许可才能开启的敕密封制度。由于千余年来正仓院几乎不曾被打开过,所以宝物都被珍藏得完好无缺。其次要得益于正仓院的建筑材料和建筑样式。其由巨大的圆柏建造而成,位于略高之地,且属高地板式建筑。有助于避免宝物受潮以及虫害的侵扰。最后,宝物一直存放于库内的棺柩之中,棺柩内的温度和湿度的差别不大,棺柩将宝物与外界隔绝,降低了户外光线和空气对宝物的影响,这对宝物的保存也起到了至关重要的作用。
正仓院宝物的特点
正仓院宝物中的绝大部分都出自奈良时期,是经由船运由大陆而来8世纪的遗物,还有一部分是由日本制造的诸多工艺精品,文书以及其他宝物。这些宝物不仅数量庞大,而且种类丰富。若以用途来区分,大致可以分为书卷文书,文具用品,乐器,玩具,佛教用具,祭祀器具,武器,餐具,服饰用品,设计工具以及香料药品等。这些宝物涵盖生活的方方面面,从中我们甚至可以窥探出奈良时期的文化全貌。
其次,正仓院宝物大部分都能明确使用年代,所以有很大的学术研究价值。且虽为“遗物”却并不是传统意义上的出土文物,而是被收藏在木造的宝库中,经由先人之手从1300多年前传承至今。
此外,正仓院的宝物还极具世界性。以富含国际特色的中国盛唐时期文化为底蕴,不仅有大量的经由丝绸之路从大陆而来的舶来品,也有本国自产的宝物。且宝物所用材料,制作技艺,器皿形状,样式,图纹等涵盖了8世纪主要的文化圈。即包含了以中国为代表,以及印度,再从伊兰到希腊,罗马,埃及等各地的各种要素。因此也有人说“正仓院是丝绸之路的终点。”
(二)
通过上面的详细介绍,大家对正仓院和正仓院宝物是否有了更进一步的了解呢?接下来,我想和大家谈一谈本次九博特展中我最喜欢的精仿品—螺钿紫檀五弦琵琶。
我自大唐来,遗世而独立--螺钿紫檀五弦琵琶
螺鈿紫檀五弦琵琶,作为正仓院宝物中的代表作品,一直备受瞩目。据说五弦琵琶起源于印度,经丝绸之路传入中国。而此琵琶制作于中国大唐,后经正仓院保存至今。
精仿品 螺鈿紫檀五弦琵琶
正仓院事务所藏
自古,琵琶多为四弦,而正仓院所收藏的螺钿紫檀五弦琵琶是目前世界上仅存的五弦琵琶,被誉为“传世杰作”。此琵琶全长108.1厘米,腹宽30.8厘米。通体紫檀木,直项,琴轸分列琴头两侧,左三右二。施螺钿花纹,腹面杆拨处还贴以玳瑁薄片,其上用螺钿嵌出一骑驼人抚弹琵琶的美丽画面。所谓“螺钿”,是指用螺壳与海贝磨制成人物、花鸟、几何图形或文字等薄片,根据画面需要而镶嵌在器物表面的装饰工艺的总称。螺钿紫檀五弦琵琶集宝物于一身,极尽奢华。它的一身珍宝也将大唐的盛世繁华展现得淋漓尽致。
精仿品 螺鈿紫檀五弦琵琶 正面
正仓院事务所藏
精仿品 螺鈿紫檀五弦琵琶 背面
正仓院事务所藏
五弦琵琶曾多次出现在唐代文人的文章亦或是诗歌中。唐代著名诗人白居易就曾作《五弦弹》--“五弦弹、五弦弹,听者倾耳心寥寥。赵壁知君入骨爱,五弦一一为君弹。”此诗对丰富的弦音描绘得非常细致入微,从中我们可以感受到五弦琵琶令人动容的绝美音色。虽然此种五弦琵琶现已失传,但在敦煌壁画上经常可以看到飞天弹奏此种乐器的图案。图案惟妙惟肖,令人神往。
据说螺钿紫檀五弦琵琶也备受日本圣武天皇珍爱,其去世后才被收入奈良东大寺的正仓院,从此一千多年无人惊扰。正所谓 “我自大唐来, 遗世而独立”,这一句简短的句子,将螺钿紫檀五弦琵琶所特有的高贵美感及其珍贵之处娓娓道来,让人回味良久。
而在本次九博特展中,正仓院宝物之螺钿紫檀五弦琵琶的精仿品有两件。一件长107厘米,腹宽33.3厘米。为明治三十年(1897)受稻生正履之命,由乐器制作家田中藤次郎和象牙及珊瑚雕刻家浅井宽哉合力制作而成。这件精仿品所用主材料紫檀的颜色较真宝物有些许出入,收藏于东京国立博物馆。另一件为全长108.0厘米,宽幅30.9厘米。由镶嵌,木工,绘画等多个领域的专家共同携手,于平成二十三年(2011)开始制作。其材料以紫檀为主,并采用螺鈿工艺,将琵琶全身嵌以玳瑁和夜光贝。腹面嵌有一骑驼人抚弹琵琶的美丽画面,极具异国风情。背面饰有唐代盛行的宝相华纹样,以及用玳瑁表现出的彩云和鸟等纹样。此精仿品无论从选材还是制作工艺上,各位匠人精都益求精,耗时8年才终于得以竣工。现藏于宫内厅正仓院事务所。
除螺鈿紫檀五弦琵琶外,在本次 “正仓院宝物之神韵转世--精仿重现奈良时代巅峰工艺”特展中,还有很多精仿品值得大家去一睹风采。它们每一件都凝聚着匠人们的心血,每一件都有着无与伦比的美。俗话说的好“百闻不如一见”!九博特展“正仓院宝物之神韵转世--精仿重现奈良时代巅峰工艺”展至6月13日,如果你在日本,一定要亲眼来九博看一看。让九博带你梦回奈良,感受天平年间的技艺与美!如果你身处中国,等疫情平息后,也记得要来逛逛森林中的大海--九州国立博物馆。相信无论何时,九博都会给你一份美好的回忆!
]]>When we think of printing, chances are that we default almost immediately to modern inkjet printers: you tell your computer what image you’d like to print, send off a command, and wait while the machine works its magic to give you a paper printout. This process, where the machine applies ink directly to the paper by itself without the use of printing plates, is known as digital printing. If you look closely at a digitally printed image, however, you might notice that the image is actually made out of many tiny dots or squares - pixels! The concept of a pixel - a portmanteau of “picture (pix)” and “element,” thereby describing the smallest element of an image - was popularised in the 1950s with the advent of colour television, where any given projected image on the screen was composed of a fine, uniform grid of individually-coloured squares. The image created when you zoom out from the grid depends on the arrangement of coloured squares within the grid. If you had two images of the same physical size, the image with the higher resolution would have a greater pixel count. This results in a higher quality image that is sharper, less blurry, and more defined.
While this is all well and good, why doesn’t Shosoin just use super high-resolution digital printing to replicate their paper documents?
The thing about digital printing, as described above, is that the image will always be able to be “decomposed,” so speak, into its constituent pixels. If you take a magnifying glass to something that has been digitally printed, you will be able to see how the edges are perhaps not as crisp as they could be. As you can see in the image below, if you zoom into any digital image enough, what we perceive as crisp edges begin to break up into smaller squares of varying colours, causing the entire image to appear distinctly grid-like (pixellated).
Left: “Pixels” typed in 12 point font; Right: a magnified image of the same word
Another common complaint about digital printing surrounds its colour fidelity - not all digital printers are made equal, and the same can be said for printer inks. With so many companies producing their own toners and liquid inks, there is bound to be variation within inks that are meant to be of the same colour. I’m sure you’ve experienced printing out an image in colour, only to find that it varies slightly when compared to the image on your screen.
All of these issues are perhaps less than ideal when it comes to the task of reproducing priceless historical artefacts. Ideally, we want to have an image with the highest resolution and most accurate colour-matching as possible, so that the reproduction is indeed faithful to the original. To address this issue, we turn to collotype, a photographic printing method that was invented in 1855 by Alphonse-Louis Pouitevin, a French chemist and photographer, long before the birth of digital printing. He discovered that gelatin, when treated with specific chemicals, hardens proportionally to the amount of light it is exposed to. When hardened, this photosensitive gelatin mixture is able to capture different amounts of ink depending on how hard it is in any given spot. This allows us to print images of various tones in one fell swoop!
Reticulated micropattern of a collotype print at 40x magnification [1]
What is interesting about gelatin is that it gains a random, network-like surface texture that is referred to as a “reticulating property”. When an image is printed with a fine random micropattern, it is more difficult to see where the pattern starts and ends than when something is printed using a fine, but uniform, grid, as with pixels. (You actually need a strong laboratory-grade microscope to be able to zoom in enough on the micropattern…) When thinking about this in comparison to our earlier discussion on pixels, we begin to see why collotype printing can produce prints of a more desirable quality.
This brings me to the actual process of collotype printing, which is both complicated and fascinating in equal measure. First, a thin layer of special gelatin is applied and treated so that it adheres to the glass plate under it - you can think of this as a primer for the next layer of photosensitive gelatin, which is a shocking yellow colour! After the yellow gelatin is applied to the plate in a thick but uniform layer, it is cured at 50-52 °C for no more than 2-3 hours in a dark environment. Keeping this plate away from UV light until it is ready to be used is absolutely paramount, as it is exhausted upon exposure. After curing, a reversed photographic negative is put on top of the gelatin plate, and the entire setup is exposed to daylight or UV light.
Left: Photographic negative; Right: Photographic positive [2]
Areas of the gelatin that touch the black parts of the photographic negative are protected from light exposure, whereas the light (transparent) areas of the negative are completely exposed. This process causes different parts of the gelatin to harden. As you can see in the cross-section of the plate, areas of the gelatin that have been exposed to UV light appear recessed as they have hardened, and lost their ability to hold on to water. This changes the surface chemistry of the plate, and creates a positive image physically in the gelatin surface.
Areas that were protected from UV light during the imaging process - i.e., the darker parts of the photographic negative - are still able to absorb water, causing them to swell up. The reverse is also true: areas of the gelatin that were partially exposed retain some ability to absorb water. Remember how you learnt as a kid that oil and water repel each other, and that like attracts like? These very same, simple principles apply here! Offset printing ink is very viscous and oily, so when it is applied to the plate, it is repelled by water-rich, swollen (hydrophilic, water-loving) areas, and attracted to hardened, recessed (hydrophobic, oil-loving) portions of the plate. This guides the printing ink where it needs to be in order to form the printed image when pressed onto paper.
Aiyah Hui Lin, you say, this is so complicated and inefficient!!! Is it even worth it??
You are absolutely right - this process is extremely involved, and actually requires a whole team of people to carry it out! However, with respect to replicating objects specifically, collotype printing chiefly provides printers a greater amount of control over the final product. In an interview, Yamamoto Osamu, one of the master printers at Benrido Atelier describes how a print can be manipulated by varying different aspects of the printing process. For example, he can vary how much pressure is used when the inked plate goes into the roller; he can also print the same image multiple times in order to build the opacity of the ink up to his desired level. He also describes how offset printing ink - a thick, oily, highly pigmented paste used in collotype and lithography, amongst other processes - affords a different visual quality to its prints compared to water-based inks. As a whole, we see how this process is highly tunable by its technicians, which arguably transforms something as mundane to us as printing into something akin to an art form - a craft - as opposed to a purely technical process. (At Benrido, incidentally, they vary their process a smidge compared to what was described earlier. They use a different priming material, cure their gelatin plates at 55 °C in a boiler room for 1.5 hours, and photograph them with UV light only.)
What I find particularly poignant about how Shosoin chooses to use collotype printers in their reproduction work is how this contributes to the preservation of a dying printing technique. Bluntly put, collotype is a less efficient printing process compared to modern forms of printing: the process of coating glass plates with an even layer of gelatin, for example, requires a great deal of technical prowess. In addition to having that physical skill, one must work with the liquid gelatin in an extremely hot and humid environment, else the gelatin will solidify before it can be used properly. Although tonal variation in an image can indeed be captured in one collotype plate, printing a coloured image requires at least one plate per colour of ink. Furthermore, each plate has a limit as to how many prints it can make before it is destroyed, so new plates must be made for longer print runs. Modern digital printing, in comparison, compresses all of these intermediary steps into one simple click, no plates required. What strikes home for me is thus the idea that the simplest method is not always the best: while parsimony, perhaps most familiar to us as Occam’s razor, is certainly elegant in in its preference for simplicity and efficiency, this tale of collotype printing reminds us that there are often benefits to taking a more complicated, lengthy approach towards problem-solving.
Interested in seeing what this process looks like in the flesh? The final chapter of this exhibition features a video of the printers over in Kyoto-based Benrido Atelier, one of the last few collotype printers left in the world, and how they went about reproducing Shosoin’s collection of documents, so I definitely recommend dropping by if you have a chance! Find more information about what you need to do in advance of coming to the museum on our dedicated microsite. We hope to see you here!
References
[1] Stulik, Dusan, and Art Kaplan. 2013. The Atlas of Analytical Signatures of Photographic Processes, “Collotype”. Los Angeles, CA: Getty Conservation Institute.
http://hdl.handle.net/10020/gci_pubs/atlas_analytical
[2] Talbot, William Henry Fox. An Oak Tree in Winter. 1842-3. British Library Treasures, British Library.
https://www.bl.uk/collection-items/invention-of-photography
Whenever we see instruments in museums, they are usually presented as works of art, inviting us to look at the intricate and detailed ornaments on them. In fact, this exhibition’s subtitle, “Encountering Tenpyo Craftsmanship through the Recreation of 8th Century Works,” brings our attention specifically to the traditional crafting techniques that modern artisans are trying to reproduce and pass down. As a former music major, however, I want to take a look at these objects from a more musical perspective. This post is, as such, a list of things that I thought interesting about the instruments exhibited, and that I hope you, dear reader, will find interesting as well!
Before we dive right in, let’s pause for a moment to review the historical setting of this exhibition. Looking at the subtitle, we find ourselves in the eighth century, most of which fell under what historians now label as the Nara period. During this period, Japan was actively importing cultural elements from mainland Asia, especially Tang China, and incorporating these into its own culture. This includes, of course, music. As with all other things Japan had imported, they modified and adapted the original to suit their own tastes and culture. This resulted in these imported elements evolving differently than their ancestors would eventually in their countries of origin, giving us modern Japanese versions that are distinguishable from modern Chinese versions.
To illustrate, let us look at one of the main highlights of the exhibition: a red sandalwood five-stringed biwa lute, the reproduction of which is featured on all of the exhibition’s promotional material, including the poster. There are many things that make the original biwa special, not least for how it is the only five-stringed biwa of its time left in the world. Biwa is written 琵琶 in Chinese characters, and pronounced pipa in standard modern Chinese. Historically, the term biwa/pipa is used to refer to lutes that do not necessarily share the same form, let alone the same roots. According to Kishibe Shigeo, who authored a chapter on biwain the book Tōdai no gakki (Instruments of the Tang Dynasty), the term biwa/pipa was used to refer to at least three different kinds of instruments. The first was the qin pipa (Ch), or what we know as the ruan (Jp. genkan) today, a round-bodied lute; the second was a four-stringed bent-necked pear-shaped lute; the third was a type of five-stringed, straight-necked pear-shaped lute. The first type (ruan) allegedly had strictly Chinese origins, while the latter two came from West Asia and India respectively. If you’re interested in finding out more about the cultural roots of each of these instruments, I highly recommend the book mentioned above for more details.
What I personally found most interesting is what happens when we compare the pear-shaped biwa/pipa to their modern descendants:
As performance traditions changed, so did the instruments’ forms, orientations, and techniques. What I found most interesting when connecting the dots between the instrument as a vessel of music, and the instrument as an object of art, was how this affected the visual placement of its ornaments. Readers who have been exposed to modern pipa performances, be it in the context of Chinese orchestras or solo pipa recitals, would be familiar with the vertical orientation of the instrument. The same goes for modern biwa performances. In this exhibition, however, the biwa is displayed at an almost horizontal angle. This is closer to how the instrument would have been played in its time, which is important not just for historical accuracy, but also for allowing us to admire the décor on the plectrum guard.
Image retrived from Colbase.
Depicted on the plectrum guard is a person riding a camel. His back faces us, but we can tell very clearly that he is playing a pear-shaped lute of his own. This picture is only upright if the instrument is horizontal—in other words, this is structural evidence for ancient biwa being played horizontally that even one who has no knowledge of historical biwa performance can glean just from the museum’s choice in how it displays the instrument. The same applies, in fact, to the genkan (exhibit no. 8) that is also part of the exhibition, as well as a bright orange vertical strip (exhibit no. 12) that reproduces just the décor on the plectrum guard of a four-stringed biwa in the Shosoin collection. Without having to do further research, I can infer just by looking at the way that the picture is oriented that the genkan is played the way it is displayed, i.e., at an angle rather than vertically, which is the way it is still played today. As for exhibit no. 12, the vertical strip features a complete landscape painting not unlike a hanging scroll—it would have been extremely difficult for the audience to admire art with such a layout had the lute been played upright. In fact, four-stringed, bent-necked biwa were the standard in court music (gagaku); if the audience wanted to appreciate the art, they would have had to tilt their heads ninety degrees, and wouldn’t that be a sight in court!
In fact, some of the instruments on display in this exhibition already show us how they were played at the time! As mentioned before, the five-stringed biwa features a man playing a pear-shaped lute. If we look closer, the lute he plays actually has a bent neck, rather than a straight neck like the instrument that the figure adorns. A pear-shaped lute also can be found in exhibit no. 12, though this time, it appears to be a four-stringed, straight-necked(!) lute. Could this have been the artist’s oversight, or was it a conscious choice? Regardless, we now have pictorial evidence right in these halls for biwa (at least, four-stringed biwa) being played horizontally!
Image retrived from Colbase.
Let us move on to exhibits that feature the ruan/genkan. We had touched very briefly on this outlying member of the pipa “family” above, but I believe it is time for some more background information! Genkan is the Japanese pronunciation of the instrument’s full Chinese name, ruanxian 阮咸. This Chinese name has been shortened to just ruan in modern day, although this term more generally refers to a family of round-bodied lutes that come in various sizes; the most common manifestation is the zhongruan (lit., “medium ruan”). While ruan were, historically, sometimes referred to as (qin) pipa, they actually stand out from their similarly named friends in the shape of their body; where the others have pear-shaped bodies, ruan have round bodies. This makes them very easily identifiable.
Image retrived from Colbase.
We find round-bodied lutes depicted on two works this time: exhibit no. 6, a kin (Ch. qin) zither; and exhibit no. 8, which is itself a genkan. The lute-player on the kin very clearly plucks at the strings with his fingers, but the picture on the exhibited genkan has deteriorated to the point where it is hard to tell how the player on it is playing her instrument. We cannot say for certain that the lutes depicted are ruan/genkan, as opposed to another round-bodied lute, but we can already see differences in performance practices between these round-bodied lutes and their pear-shaped relatives. Today, the ruan can be performed with a pick (yes, just like a guitar pick!) or with fingers alone.
Image retrived from Colbase.
The last instrument that I would like to focus on is the qin/kin, a seven-stringed zither with Chinese origins. The qin is a highly revered instrument in Chinese culture, forming one of the four gentlemanly arts for a Confucian scholar: qin, qi (a strategy board game like chess), calligraphy, and painting. We briefly touched on exhibit no. 6, the qin/kin in our exhibition this time, with regard to how it features a round-bodied lute, but in fact, it also depicts a qin! (A qin depicted on a qin... Qin-ception?) These two instrumentalists are joined by a third man drinking deeply from a horn-shaped cup, all of them enjoying the wine, music, nature, and, hopefully, one another’s company.
So far, this post has been dedicated to string instruments. I think it is a pity that there is no reproduction of any of the four-stringed, bent-necked biwa stored in Shosoin that we could also display in this exhibition for easier visual comparison between the three kinds of instruments that once shared the name pipa/biwa, but that may just be the music geek in me talking.
I would like to end this post off with a few other interesting tidbits about some other musical instruments that are also being exhibited.
Exhibit no. 1: This is a ceramic drum that is decorated in glazes of three colors. What I find most fascinating about this object is none other than the fact that it is made of clay! When we talk about drums, we often think of a wooden body, sometimes covered in lacquer. This drum, however, is made of ceramic! According to Hayashi Kenzō, who wrote an extensive book compiling his research into the instruments stored in Shosoin, ceramic drums other than this do exist. I don’t know about you, but I would very much like to hear the sounds made by this drum, and compare them to a wooden drum.
Exhibit no. 3: Panpipes are usually associated with the Greek god Pan, or the Andean highlands, and I was honestly thrilled to find out that China had its own panpipes, known as xiao (Jp. shō), as well. I was amused by how the instrument exhibited actually looks different from how the original now looks. This is due to the original having been repaired once by people who had thought it a twelve-pipe instrument, an error that was discovered by scholars later who revealed that it was actually supposed to have eighteen pipes.
Image retrived from Colbase.
Besides these specific points of interest, I would also like to remind everyone who visits the exhibition in person to look around the objects displayed. We have placed mirrors behind or underneath some exhibits, such as nos. 6 (kin zither) and 15 (biwa lute plectrum) to allow visitors to see the details on the reverse sides.
I have touched on most of the instruments in the exhibition in this post, but they constitute only the first section of the entire exhibition. Even so, it barely skims the surface of the stories these objects, though reproductions they may be, have to tell. It also goes without saying that seeing the objects in real life beats reading a two-thousand-word-long blog post without many pictures, so I highly encourage anyone who is able to come down to Kyuhaku personally and see them for yourselves. Also remember to check out the catalog for close-up photos of the details!
]]>Kyuhaku is pleased to present its newest Special Exhibition, The Reproduction of Shosoin Treasures: Encountering Tenpyo Craftsmanship through the Recreation of 8th Century Works, which is running till 13 June 2021. That being said, it might be difficult for you to visit the exhibition in person this month due to the new State of Emergency, so I’ve teamed up with Rachel, my colleague from the Planning Division, to bring you a series of blog posts about what we have on display and why they are interesting to us. In this first post, we’ll be explaining a little bit about what these objects are and why we wanted to feature them, so hopefully it’ll be a fun read even for those of you at home.
Without further ado, let’s jump right into Shosoin and our recommended exhibit list!
Shosoin - short for the Shosoin Imperial Repository - is a storehouse located within the Tōdai-ji Temple grounds in Nara Prefecture. It was established during the Nara period in the 8th century, and contains about 9000 precious objects that originated from various places around the world, such as China and regions even further west of Japan. In the 1300 years that have passed since Shosoin’s establishment, these items have been maintained carefully such that they remain, even now, important symbols of high-quality Japanese craftsmanship. Besides their role in preserving the original objects, Shosoin also began creating replicas during the Meiji period. As they began allocating more resources to the process of reproducing their treasures, more research into the materials and techniques used to create the original pieces was conducted. You could say that in wanting to use authentic techniques to make more faithful replicas, Shosoin has also contributed to the preservation of these techniques! This is really quite incredible, especially considering how the Tenpyo craftsmanship mentioned in the exhibition title also originates from the 8th century.
Tenpyo craftsmanship, named for the era it flourished in, is part of a larger cultural movement that emerged during the Nara period. As Buddhist practices, which came into Japan alongside imported material goods from China, took root, so did related architecture and artistic forms. Tōdai-ji, an important historic and religious location to the Japanese, for example, was established during this very era. The Tenpyo era, as well as the culture surrounding this time, can thus be thought of as one of the origin points of what we now consider to be quintessential, iconic aspects of Japanese culture.
#10 螺鈿紫檀五絃琵琶(インド紀元の五絃の琵琶)
Red Sandalwood Five-String Biwa Lute with Mother-of-Pearl Decoration
You may find these images familiar - they actually grace the promotional materials for this exhibition, including the big poster that’s been placed around the city. These biwa lutes are considered the most iconic objects owned by Shosoin, and with good reason: they are both replicas of the last five-stringed biwa lute in the world!! The original lute, which is also in Shosoin’s care, was first reproduced in 1898, and once again in 2018 with reference to the first replica. I personally find this lute interesting because of the sheer opulence in its design. The whitish, iridescent areas are actually inlaid pieces of mother-of-pearl, or nacre. Nacre is a strong, hard material produced by members of the mollusc family, and has a characteristic silverish sheen. If you’ve ever tried touching the inside of an oyster or abalone shell, you’ll know how smooth and shiny it is compared to its exterior! To make mother-of-pearl inlay decorations, the inner shell layer is removed and cut into various shapes by craftsmen. These decorative pieces are then either inserted or pressed into a base material. In Japan, these base materials tend to be made out of wood or lacquer.
You may have noticed the characters 螺鈿 (raden) in the names of the lutes. Raden is a subset of zougan (象嵌), or inlay, techniques that involves exclusively the use of thin pearl shells. In other words, inlaid pieces that use thicker shell pieces don’t qualify as raden. This technique was brought into Japan from Tang China in the 8th century, a period characterised by a great deal of cultural exchange between the two countries.
Want to learn more about these lutes, or the other instruments also featured in the exhibition? Keep your eyes peeled for Rachel’s upcoming post, which will dive deeper into some of the musical instruments displayed, and why they are interesting from both a historical and musical perspective!
#29 紫檀木画箱(物への供物を収めた箱)
Red Sandalwood Box with Marquetry
This box is made out of keyaki, Japanese zelkova wood, and would have been used to hold items offered to the Buddha. While it looks quite unassuming, it hides a nifty bit of craftsmanship - the decorative borders are made using a mix of inlay materials, including, interestingly enough, pure tin! Inlaid materials come in a variety of flavours: as you’ve seen with the lutes above, these tend to be precious materials such as mother-of-pearl, ivory, gold, silver, and black persimmon wood. The use of tin in this box, however, is especially significant because there are no earlier instances of it being used specifically as an inlay material in Japan. In other words, the fact that tin could even be used for this purpose was only discovered when research was conducted into the original box! While Japan does produce some domestic tin, the practice of using it in fine crafts is likely to have been imported during this era from China alongside tea. While the tin sections are now darker due to surface oxidation, researchers imagine that it would have been an eye-catching silver, so brilliant that it may even have appeared white, at the time of its creation.
#47 七条織成樹皮色袈裟(聖武天皇の綴れ織りの袈裟)
Seven-Panel Mottled Priest's Kesa in a Tapestry Variant
Huh, you say, what is this strange item I am looking at here??
This kesa, a stole worn over a base set of robes by Japanese Buddhist priests, looks a little bit like a mottled tree trunk. It is mounted as a set of 7 panels into a tapestry, which is why it doesn’t resemble a garment. If you’ve ever seen a Buddhist monk in the flesh, you might be more familiar with how their robes are usually a brown or orange colour. While the kesa in this exhibit might just seem like it has developed patches of discolouration due to old age, the patches are actually deliberate parts of its design! Bear in mind that this exhibit, as with all the other objects on display, is a replica of the original. So, in order to reproduce this design, all seven panels of the base fabric were lined up in order, and different-coloured threads woven in a simple checkerboard pattern (plain weave) to form larger irregularly shaped patches. The craftsmen at Shosoin then traced out every single shape so that they could replicate the entire pattern faithfully. Incidentally, the original tapestry, being made out of thread - an organic material - has suffered some damage over the years. This replica, which includes sections that are now missing from the original, helps bring it back to life, in a sense!
#119 正倉院古文書正集(筑前国嶋郡川辺里戸籍)
“Household Register for Kawaberi Village in Shima District of Chikuzen Province” in the Collection of Old Documents in the Shosoin (Shosoin Komonjo Seishu), Scroll 38
Nobody likes looking at paperwork, myself included. That being said, I wanted to feature this set of documents, including the household register pictured above, in this post because of how Shosoin goes about making reproductions of them! Now, I can practically see you giving me the spiritual equivalent of the Confused Nick Young meme expression, but hear me out!!! Reproducing these documents is not as simple as using a modern photocopier machine to make printouts - Shosoin actually uses a process called collotype printing to get the job done. I’ll be going into greater detail about what this type of printing is in a later blog post, but here is a quick and dirty rundown of their method. First, Shosoin takes a high-quality photograph of the document they want to reproduce. Next, they use that photograph to create a photographic negative, which is then used with a special gelatin plate to create a printing plate. The prepared printing plate is finally used to transfer thick printing ink onto paper that has also been produced with traditional Tenpyo-era techniques. This type of printing allows them to make super high-fidelity copies of the original, the quality of which far exceeds normal inkjet or laser printing! Collotype printers are slowly becoming more scarce around the world - in fact, there are only two companies in the whole of Japan that still do it. Personally, I feel that this aspect of Shosoin’s work really drives home for me how the process of creating reproductions helps to preserve both the culture of the object as well as the techniques used to make them, so this was super meaningful to me!
If you’d like to see these objects in the flesh, be sure to come by the museum before the exhibition ends! You can find more information about it on our dedicated microsite.
See you in our next post!
]]>3月に実施したオンラインワークショップ(Zoom)の様子をご報告します♪
突然ですがみなさん、
絹ってどんな風に作られているか、知っていますか?
蚕が作る繭をイメージされた方…
正解です!
蚕の幼虫がさなぎになる時に、自分の口から出した糸で作る「繭」。
その繭を加工して作られたものが
絹=シルク
です。
「絹の体験教室KURUKURU SILK」では、
・蚕の繭から糸を作る方法
・作った糸を使った織物づくり
を体験してもらいました!
作ったのは、本にはさめる栞(しおり)です♪
オンラインなので、参加者のみなさんには、あらかじめ
資料や道具、材料をお送りして参加していただきました。
今回体験していただいた作り方は、糸つむぎです!
はてさて、糸つむぎとは何ぞや?ということで、講師のレクチャータイム。
題して 「つむぐ」ってなんだろう?
講師は、染織専門の桑原研究員(通称繭子先生:右)と
考古専門の小澤研究員(通称シルク先生:左)です。
ざっくり説明すると、「つむぐ」とは
・紡錘車と呼ばれる道具を使って
・綿のようにもじゃもじゃした繊維を
・撚(よ)って糸にすること
をいいます。
紡錘車が弥生時代の遺跡から出土しているので、
糸つむぎはそのころから行われていたのかも…?!
と考古専門の小澤シルク先生談。
※紡錘車の当時の使い方については諸説あります。
つまり、つむぐには繭を綿にする必要があります。
ワークショップでは、さなぎが入った繭を綿にする工程を
リアルタイムでご紹介しました。
煮てやわらかくなった繭から、さなぎを取り出します。
このような絹製の綿を「真綿」といいます。
木綿(コットン)は真綿と呼ばないんですね〜。
私も初めて知りました!
さて、繭が真綿になったところで、染織専門の繭子先生から
つむぎ方のレクチャーをおこないます。
参加者のみなさんは、あらかじめお送りした真綿と紡錘車を使って、
糸つむぎにチャレンジです!
画面越しに、みなさんの進捗をうかがいながら一緒に作業します。
糸の太さをそろえるのと、撚りを適度にかけるのが難しいんです。
真綿を一本の糸につむぎ終わったら、
簡易はた織りセット(段ボールと割り箸でスタッフが自作)
を使って、つむいでもらった絹糸をよこ糸にして
平織をしてもらいます。再び繭子先生のレクチャー。
(パソコンのカメラをはた織りに近づけるため、パソコンの画面を倒しています)
もくもくと作業に没頭していただいて…
つむぎ糸を使ったオリジナル栞の完成です!
みなさん素敵な栞を作っていらっしゃいました♪
画面越しでのやりとりは難しいところもありましたが、
ワークショップ後のアンケートでは、
時間にも余裕があり、トラブルもなかったので、
対面のワークショップと同じように楽しめました。
絹の歴史と蚕の一生のお話も興味深く、体験とともに
たくさんの情報を教えていただけるワークショップで大満足です。
など、好意的なご意見をお寄せいただきました!
よかった〜(*^-^*)
今後は、ワークショップも
オンラインでの実施を増やしていく予定です!
というわけで、「絹の体験教室KURUKURU SILK」も
今夏に再び実施することになりました♪
日時が決定しましたら、九博HPでお知らせしますね。
オンラインワークショップは、
・ネット環境
・端末(パソコン、タブレット、スマートフォンなど)
があれば
どなたでも参加可能です。
Zoomの使い方が分からない方には操作方法を
お伝えしますので、お気軽にご応募くださいね。
遠方からのお申込みももちろんお待ちしています♪
それでは!
]]>We have been busy over at the museum in the last few months! Although we have had to scale down the number of Special Exhibitions this year to just one - Manifestations of Mercy: Treasures from Chūgūji - we have also hosted a handful of fun feature exhibitions in our Cultural Exchange Exhibition Hall! I’d like to introduce a couple of personal favourites from our current feature exhibition, Tales of Tenjin!
But who is this Tenjin man? And why does he get to have an entire exhibition room to himself?
Tenjin (天神) is the Shinto god of education, scholarship, and academia. He is enshrined in Tenmangu shrines, three of which are the Kitano Tenmangu in Kyoto, Hofu Tenmangu in Yamaguchi, as well as our very own Dazaifu Tenmangu in Fukuoka, which we are located next to. These shrines are popular amongst students of all ages in Japan, and can often be seen packed with worshippers before exam season.
いろいろあって、神様になりました。
After living an eventful life, I became a god.
This tagline perhaps best sums up how Tenjin came to be: prior to his posthumous deification as the god of learning, Tenjin was known as Sugawara no Michizane, a Heian-period scholar and poet who lived in the tenth century. His real life, which was as illustrious as it was eventful, culminated in his exile to Dazaifu, where he passed away at the age of 59, and was deified following a series of natural disasters that befell Japan.
Lest I spoil all the background of the exhibition, let’s get into the recommendations that Rachel, our English Associate Fellow, and I have for you this time!
Tenjin and the Flying Plum Tree
This is a painting depicting Michizane with a flying plum branch above him. The inclusion of a plum branch - floating against a plain white background, no less - may seem bizarre! However, Michizane is famously known as a lover of plum blossoms, following a waka poem he had written to the plum tree in his Kyoto residence on the eve of his departure to Dazaifu, where he had been exiled by other corrupt ministers.
東風吹かば にほひをこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな
kochi fukaba / nioi wo kose yo / ume no hana
aruji nashi tote / haru wo wasureru na
When the east wind blows / bring me your sweet scent / you plum blossoms!
Even without your lord / do not forget the coming of spring.
Some versions of Michizane’s story claim that this plum tree uprooted itself and flew from Kyoto to Kyushu, so it could be reunited with its master. This exhibit depicts Tenjin and his iconic flying plum tree - tobi-ume. If you pay a visit to the Dazaifu Tenmangu next door to us, pay attention to the two plum trees flanking the hall of worship! There is a wooden plaque for each tree, with the characters for tobi-ume (飛梅) written on them, indicating that they were the very trees that “flew” to Dazaifu.
Illustrated Legends of Tenmangū (Enjuōin version), Scroll 6
This exhibit is one of my personal favourites because it brings Michizane to life in a way that is perhaps not as evident from single-panel paintings. This series of paintings, which depict major events in Michizane’s life from his childhood to his eventual evolution into a god, is fantastic and humorous in equal measure. We see how the various characters in his life get up to all sorts of shenanigans - political plays, deception, plagiarism - and how Tenjin responds to them. He even punches a couple of politicians who mock him for being short - we stan a short king!!! Needless to say, these panels are a whole lot of fun, so that’s why they’ve made the list of recommendations for this blog post. I honestly cannot describe adequately to you how much fun it was matching some of the panel summaries to their corresponding images, so I hope that this post convinces you to go have a look for yourself.
We’ve produced multilingual handouts explaining what is happening in each panel, so please feel free to take one home as a memento of the exhibition!
Tenjin Returning Home on an Ox
Finally, this recommendation is for the manga fans who lurk amongst us. This special exhibit, drawn by artist Haibara Yaku, and dedicated to the Dazaifu Tenmangu Shrine, depicts a young Tenjin from The Southern Gate (Ōten no Mon) atop a bull in a grove of plum trees.
While Haibara’s interpretation of Tenjin in his youth is no doubt subject to a great deal of artistic license, I think this exhibit is a great example of how Tenjin still fascinates the Japanese people even today. Regardless of whether this interest is reflected in academic investigations into Tenjin-related historical artefacts, or modern, artistic interpretations as we can see here, Sugawara no Michizane lives a myriad of lives as vividly in our imaginations as he must have had in real life over a thousand years ago.
I do hope that you'll come see this wonderful exhibits for yourself at the museum - be sure to check out our dedicated microsite for more details!
]]>国際交流員英語担当のフイリンと申します。
みなさんは元気にお過ごしでしたか?
前回のブログから時間が結構経ちましたが、
今回は4階の文化交流展示室で開催している
特集展示「天神縁起の世界」のおすすめ作品を紹介したいと思います!
コロナ禍で今年度の特別展は中止や延期になってしまいましたね。
ですが、2020年度の唯一の特別展「中宮寺の国宝」以外にも、
文化交流展示室で開催する特集展示が盛りだくさんですよ!
それでは、3月28日まで開催している「天神縁起の世界」には
どのようなハイライトがあるんでしょうか?
日本生まれ、日本育ちのみなさんにとって、
「天神さま」または「菅原道真公」と言えば、
「平安時代」や「梅の花」や「太宰府」というキーワードをすぐ思い出せると思いますが、
外国人に聞いたら「えっ?誰ですか?」って答えが出てくるかも知れませんね。
なぜ九博は天神という神様について展示を企画したか、
そしてなぜ天神は日本でこれほど有名になってきたかは 深く考えると、
様々な質問や驚かせることがあるので
日本に住んでいる外国人たちに紹介できればいいなぁと思います!
ではでは、九博の英語担当たちから「天神縁起の世界」のおすすめを紹介し、
一緒に天神縁起の不思議な世界に入りましょう!
企画課のアソシエイトフェローのレイチェルさんに選ばれた作品は
これ、「天神飛梅図」という絵です!
レイチェルさんによると、
「太宰府へ左遷された菅原道真公が京都の屋敷で愛した梅の木に和歌を詠んだ話、
そして主人と会うために京都から九州まで飛んできた梅の木って、
すごく心を動かされるイメージですね…。
天神と飛梅伝説と言えば、この図が一番説明やすいかな?
という理由で、この展示品をおすすめしました。」ということです。
ちなみに、菅原道真公がその愛した梅の木と別れる時に詠んだ和歌はこちらです。
東風吹かば にほひをこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな
現代語に訳すと、
東風が吹いたら(春が来たら)芳しい花を咲かせておくれ、梅の木よ。
大宰府に行ってしまった主人(私)がもう都にはいないからといって、
春の到来を忘れてはならないよ。
菅原道真公だけではなく、梅の木も伝説になるほどの愛情を
たっぷり持っていることが素敵ですね。
現在、九博の横にある太宰府天満宮には、「飛梅」という木が2本あります。
「天神縁起の世界」をご覧になってからその立派に成長している梅の木を見たら、
菅原道真公の気持ちがもっと理解できるんだろう!と思います。
次の展示品は私の個人的なおすすめです!
これは展覧会期間の後半に展示される、
18世紀に作られた「天満宮縁起画伝(延寿王院本)」です。
推薦する理由は…場面解説です!!!
文武両道の菅原道真公は、すごく面白い人生を生きていましたね。
子供の頃から天才のように詩歌を書いたり、
大人になると多才な大臣になったり、
左遷されて京都から九州の太宰府に行かせられてしまったりした道真公は
亡くなると神として祀られるようになっただけでなく、
神になった後の伝説もたくさんあります。
このような人生を最初から最後まで、
そして菅原道真公・天神さまの周りにいた人々の
様子などが鮮やかな色で描かれた絵は、 すごく楽しいと思います!
展示室で場面解説を読みながら相当する絵を探した私は、
伝説って分かっているのに本物のような天神さまと共に怒ったり笑ったりしました。
今回の特集展示には、九博の多言語化チームがこの絵を伴う文章を
英語・中国語・韓国語の3か言語に翻訳しました!
しかも、後半の場面解説は丁寧な小冊子にしたので、
みなさんがよければ、展覧会の記念品としてお持ち帰りください!
最後に、漫画家の灰原薬さんが描いた「騎牛帰家図」を紹介したいと思います。
なぜかというと、天神さまは現在の日本でもすごく強い存在感がありますね。
10世紀の平安時代から今まで研究員に調査の課題にされたり、
アーティストに絵・漫画・イラストの主人公として描かれたり、
そして受験生たちに祈られたりする菅原道真公・天神さまは、
日本の文化への影響が強いですね。
本人はもう1100年前に亡くなりましたが、
こんなに多様多彩な役割をまだ果たしている天神さまは
まだ生きているような存在じゃないでしょうか!
「天神さま」として親しまれる菅原道真公を来館者に
新たな想像をしやすいために、 今回の特集展示を開催しました。
このブログに紹介した作品だけではなく、
他の面白くて不思議な作品がたくさんありますよ!
興味があれば、是非!九博に足を運んで天神さまと遊びに来てください!
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展覧会では、アジア各地の半跏思惟像も勢揃いしています。
さて、ここで問題です。半跏思惟像とは何の像か?
古代の日本では、遠い未来に人々を救ってくれる弥勒菩薩(みろくぼさつ)の姿を表していたのではないか、とする説があります。
そこで、今回最初のパネルは、「アジアの半跏思惟像と弥勒菩薩」です。
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半跏思惟像は青色に、弥勒菩薩は緑色に分けてあります。
古代インドでは、釈迦(しゃか)が若い頃に思いにふける姿のほか、手に蓮華(れんげ)を持ったり、頭に仏さまをつけたり。いろんなタイプがありますね。
一部の像は観音(かんのん)菩薩と考えられています。では、半跏思惟像はすべて観音だった? とも言い切れません。
アジアの半跏思惟像が何であったのか、まだまだわからないことだらけです。
さて現在、中宮寺本尊は如意輪観音(にょいりんかんのん)として信仰されています。一方で、中宮寺の弥勒(みろく)、という言い方もよく耳にします。どうして2つの名前があるのでしょう。
次のパネルは、「四天王寺の旧本尊は半跏思惟像?」です。
中宮寺の本尊の名前に、どうして大阪の四天王寺が関係あるのでしょう。
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四天王寺と中宮寺。ともに聖徳太子と関係の深い寺で、古代から中世にかけて半跏思惟像が観音として信仰されていたことがわかります。如意輪観音の名のルーツはどうやらこの辺りにありそうです。
しかし、半跏思惟像が弥勒であったことを直接示す古代の仏像は、前のパネルでみた大阪の野中寺(やちゅうじ)の弥勒菩薩半跏像しかないようです。
うーむ、かなりむずかしいですね。
展覧会図録では、この謎についてもう少し詳しく説明しています。
さて、最後のパネルは、これまでの解説とはちょっと違います。
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近代を迎え、仏像は文化財として、あるいは美の対象として見られるようになりました。展覧会第5章「中宮寺憧憬(しょうけい)」では、このことを改めて考えてみました。
文学の世界でも、仏像の美をたたえる随筆や短歌、詩などがたくさんあります。
展示では和辻哲郎(わつじてつろう)と會津八一(あいづやいち)をご紹介していますが、展覧会図録では文学篇としてバラエティに富んだ計27篇を収録しました。文学好きの方は必見です。
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「奈良・中宮寺の国宝」展をウチでも楽しんでいただこうと、4回にわたり展示パネルを通じて展覧会をご紹介しました。
ご本尊は言うまでもなく、その他にもいろんな見どころがあることが、皆さまにも伝わったら嬉しいです。
では、展示会場もぜひお楽しみ下さい。
重要文化財 文殊菩薩立像 鎌倉時代 中宮寺
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では、この像の材料はなんでしょう?
実は「紙」で作られています。とても珍しいものです。いったいどうやって紙で仏像を作ったのでしょう。最初のパネルは、「文殊菩薩の内部はこうなっていた」です。
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胎内(たいない)にあった経巻や文書は、修理ですでに取り出されています。
信如さんが中宮寺に入られたのは、弘長2年(1262)。この像が作られる7年前のことでした。
大切な経巻で作られた文殊さま。信如さんがよんでいた経を大事に納めて、この像が作られたのかもしれません。
中宮寺は近世に入り、天皇の皇女や宮家の王女が出家(しゅっけ)して住職を務めました。これを門跡(もんぜき)寺院といいます。展覧会第3章では、天皇家や宮家に近い人物にゆかりある作品がずらりと並びます。
霊元天皇宸翰懐紙 江戸時代 中宮寺
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でも、誰が誰だかよくわからない。そこで次のパネルは「中宮寺門跡と宮家」です。
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系図で並べてみると、歴代の6人の門跡と天皇家、宮家との関係がよくわかります。
宮家との関わりを示す染織品も展示しています。かつて高位の人物が身につけていた着物の小袖(こそで)を、仏堂を飾る幡(ばん)や打敷(うちしき)に仕立て直したという由緒があります。
調査で撮影した打敷のデジタル写真を、当館の研究員が粘り強く観察し、次のパネル「よみがえった小袖」ができあがりました。
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3日がかりで完成したという復元図。ぜひ会場でパネルと現物を見比べてみて下さい。
さて、近代に入り昭和15年(1940)のこと、飛鳥(あすか)時代の小さな仏像が中宮寺で見つかりました。今回最後のパネルは、「飛鳥時代の誕生仏」です。
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誕生仏の発見を記念して、仏像を納める花御堂(はなみどう)と灌仏盤(かんぶつばん)が、横山大観(たいかん)や竹内栖鳳(せいほう)といった当代一流の画家や芸術家の協力によって作られました。
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花御堂、花御堂天井画 昭和17年
灌仏盤 昭和16年
誕生仏 昭和33年 いずれも中宮寺
しかし、なんと、この仏像が戦後盗難に遭ってしまったのです。
昭和33年、古い仏像を模して新たに誕生仏が作られました。
それが、花御堂の中に立つ金色の仏像です。
飛鳥の誕生仏は今、一体どこにあるのか。
今回は、中世から近世、現代までをかけ足でめぐりました。
栄枯盛衰(えいこせいすい)は世の習い、と言いますが、1400年に及ばんとする長い歴史のある中宮寺にも、本当にいろいろなことが起こっています。
次回は、半跏思惟像(はんかしゆいぞう)の起源をたどってアジアへと視野を広げます。
]]>間人皇后像 江戸時代 中宮寺
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摂政太子坐像 江戸時代 中宮寺
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中宮寺は古くから法隆寺や四天王寺などと並び立つ重要なお寺であったことがわかります。
古代の中宮寺と聖徳太子の強いつながりが感じられます。
飛鳥時代の仏教を語る上で、中宮寺のお隣にある法隆寺を忘れることはできません。法隆寺金堂の本尊である釈迦如来坐像は、有名な鞍作止利(くらつくりのとり)が作った止利様式の傑作です。そこで、次のパネルは「止利様式と非止利様式」です。
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展示室にある止利様式の仏像は、よく見ると肘から手首までの長さがとても短いのです。でも正面から見るにはこれで十分で、全然違和感がないですね。仏師の巧みな技に感服します。
重要文化財 如来坐像 飛鳥時代 東京国立博物館(法隆寺献納宝物)
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中宮寺の本尊は、こうした止利様式とは異なるスタイルで作られています。
次のパネルも聖徳太子と関わっています。「尺寸王身(しゃくすんおうしん)とは」です。
不思議な言葉ですね。
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何と!聖徳太子を写して作ったと伝える法隆寺金堂釈迦像と中宮寺本尊の大きさが、ほぼピッタリ一致します。2つの像の作られた時代は異なりますが、中宮寺像の制作にあたって聖徳太子の大きさが意識されていたのではないか、と考えたくなります。
今回は、聖徳太子メインのご紹介となりました。次回もお楽しみに。
さてこの状況下、ブログで展示品を紹介、では直球過ぎてちょっと芸がないなあと考え、展示室にかかげている「解説パネル」を本ブログで紹介することを思い立ちました。来館がかなわないお客様に、少しでも臨場感を味わっていただければ幸いです。これから来られる方は、予習にご利用下さい。
まず、第1章「最初の中宮寺はどこにあった」。
【拡大画像】
これをみた多くの方が「知らなかった・・」と驚いたかもしれません。そうなんです。中宮寺は実は移転しているのです。現在の場所から東へ約400mのところにある旧中宮寺跡は昭和の時代に発掘調査され、史跡公園が整備されたのは2018年のこと。だから公園のことを知らない方はまだ多いようです。
寺地に関わる問題として、このようなパネルも作りました。
【拡大画像】
不思議な三角形の中央に中宮寺の旧寺地があります。これが何を表しているか、わかるでしょうか。「中宮寺=チュウグウジ」の名前に親しんでいる方には、ビックリの内容かも知れません。中宮寺は、間人(はしひと)皇后(=中宮)の宮を寺としたという伝承のほか、「ナカミヤテラ」と呼ばれていたことが記録に残っています。そのナカミヤの由来というのが、「葦垣宮(あしがきのみや)、岡本宮、鵤宮(いかるがのみや)」の3つの宮。この真ん中にあるから、というものです。果たしてどちらが正しいのでしょう。実は両方とも正解なのかもしれません。
斑鳩(いかるが)を旅するときには、ぜひこれらの地も巡ってライブ感を味わってみてはどうでしょうか。車がなくて歩くのが大変な方には、近隣のレンタサイクルもおすすめです。
次のパネルは、「天寿国繡帳(てんじゅこくしゅうちょう)とはなにか」。
現在は、わずかに残る断片を貼り合わせた状態の天寿国繡帳。その本来の姿はどのようなもので、そもそも何を表していたのでしょうか。
【拡大画像】
このように天寿国繡帳は、まだ多くの謎が残されたままです。聖徳太子が往生したのはどの浄土だったのでしょう。これを作らせた太子の妃の橘大郎女の思いは如何ばかりだったか、など想像は尽きません。
今回最後のパネルは、「塔心礎(しんそ)出土品はここから発見」。タイトルが難しすぎますね。心礎とは一体何でしょう。
【拡大画像】
左の写真にみえる四角い石が心礎です。心柱を立てる礎石だから心礎、ですね。中宮寺ではこの心礎の上から、金製品や水晶やキレイなガラス玉などが見つかっています。
中宮寺塔心礎上面出土品
【拡大画像】
塔には本来、舎利(しゃり=仏の骨)を納めます。ではこの品々は舎利と関係があるのでしょうか。あるいは、鎮壇具(ちんだんぐ)と呼ばれる地鎮祭に用いられたものだったのか。
展示室で現物を見ると、その小ささに驚きます。発掘調査で土の中からこれらを見つけた人はエライ、とつくづく思います。
今回は以上です。次回のパネル紹介をどうぞお楽しみに。
]]>早速ですが、みなさんにはこの図が何に見えますでしょうか。
鍵穴?
幽霊?
てるてる坊主?
今、首を横に振りながら、「そうじゃない」と思っている方が
多いのではないでしょうか。
九博のブログを読んでいる歴史好きの皆さんには
これはきっと「前方後円墳」に見えたはず!
私にも前方後円墳にしか見えません!
そんな皆さんも、私も大好きな九博の「文化交流展示室」の第4室「にぎやかな古墳のまつり」!
かわいくて表情豊かな埴輪たちが「にぎやか」に並ぶこの展示室は
古墳好きの皆さんにとっては
いつまでもずっといられる、まさに癒しの空間ではないでしょうか。
そんな皆さんのために、登場しました。
古墳カード!
ドーン!
(表)
(裏)
展示室がそのまま一枚のカードになりました!
あら、かわいい〜
これを見ることで、すぐに九博に行けない時でも
仕事や勉強で疲れた心がすぐ癒されるかも。
このかわいいカードを「文化交流展示室」にご来場のうえご希望の方先着500名様にプレゼントします!
配布は令和3年1月1日(金・祝)から!
最初の図が前方後円墳に見えたあなた、
これがほしくなっているのではないですか?
1月1日に九博で待ってます!
古墳カードは九博以外にも九州の色んな古墳、博物館などで発行されていて、
数はどんどんどんどん増える予定ですよ。
これはコレクター魂に火が付きますね〜
九州古墳カードの詳細情報は下記リンクをご確認ください。
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