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三国志!!!!!!!−三国志展の動物たち−
いよいよ、会期も残り少なくなってまいりました。皆さまはもうごらんになりましたか?
10月1日から九州国立博物館3階特別展室において開催中の特別展「三国志」!

 14世紀に作られた「物語としての三国志」(『三国志演義(さんごくしえんぎ)』)のもとになった、約1800年前の中国(後漢時代〜三国時代)。
 魏(ぎ)・蜀(しょく)・呉(ご)の3国が並び立ち、曹操(そうそう)や劉備(りゅうび)、孫権(そんけん)などの武将が大活躍していた、まさにその時代の出土遺物を一堂に集め、実際に使っていた武器や墓に納められた副葬品などから、リアルな三国志の姿を復元しようという、意欲的な展覧会です。

 今回の三国志展、実は動物たちがあちこちで魅力的なんです!!というお話、今回は3回目でっすよ〜♪


 えっ? しつこいって? そろそろ飽きてきたって?
 いやいや、そんなこと言わないでくださいよ。まだ紹介していない魅力的な動物たちが、展覧会場にはたくさん隠れているんですから!!

 とはいえ、さすがに3回目というのはやりすぎかもしれませんね…
 今回で一応、動物シリーズは最後にしておくことにしましょうか。



 気をとりなおして。
 さて、動物シリーズの最後を飾るのはやっぱり、三国志の時代には欠かせない、この子たち…



 そうです。「馬」!

 三国志の時代、ひろい中国大陸を駆けめぐる武将たちが乗ったのは、馬でした。
 戦場において、主人をそのたくましい背中に乗せ、ともに敵と戦う頼りがいのある相棒、馬。

 前漢(ぜんかん)末期の梟雄(きょうゆう)、呂布(りょふ)の愛馬である「赤兎馬」(せきとば)、
 ごぞんじ魏(ぎ)の曹操(そうそう)の愛馬である「絶影」(ぜつえい)、
 蜀(しょく)の初代皇帝、劉備(りゅうび)の愛馬であった「的盧」(てきろ)などは、
 いずれも、正史「三国志」にその名が残された名馬であり、ファンならずともその名を聞いたことがあるかもしれません。

 馬の名前が正史に残ってるの!? と驚いたあなた。私も同じ気持ちですよ!!
 だって、これ、日本なら弥生時代の話ですよ!?


 ああ、これは以前の記事でもやったネタでしたっけ…

 ま、まあ、それだけ、三国志の時代、馬というのは特別な意味を持った動物だったということなんでしょう。気を取り直して、「三国志」展の中の馬たちを紹介していきましょう。

 まずはこちらから。
 『三国志演義』を紹介するオープニングに登場するのは、趙雲(ちょううん)が馬に乗って駆ける姿を彫った木像。
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 蜀の劉備の部下であった趙雲。
 曹操と劉備とが戦った長坂坡(ちょうはんは)の戦い(建安13年、208年)で、劉備軍は敗走します。
 このとき、劉備の奥様である甘夫人(かんふじん)と、劉備の子でのちに蜀の第2代皇帝となった劉禅(りゅうぜん、幼名:阿斗/あと)を、趙雲が戦場から救い出します。
 『三国志演義』によれば、趙雲は決死の覚悟で単騎、戦場に駆けもどり、阿斗を抱きかかえるや、着ていた鎧の前合わせをひろげ、阿斗をそこに抱きかかえて、馬を駆って戦場を脱出したといいます(ブログの中の人も大好きなエピソードです)。
 その姿を見事に描き出したこの「趙雲像」(ちょううんぞう)、17〜18世紀頃、清(しん)時代につくられた傑作ですね!

 次にご紹介するのはこちら。動物シリーズ第1回目でもとりあげた、「儀仗俑」(ぎじょうよう)。

 躍動感あふれる馬に乗った騎兵を先頭にした、貴人の行列を造形したこの作品、何しろ馬の表情が迫力満点!

 会場で儀杖俑の近くに展示されているこちら、「多層灯」(たそうとう)は、灯りをともすための台としては実にりっぱなものですが、こちらにもたくさんの馬が表現されています。
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 その姿、あたかもメリーゴーランドのよう!?
 えっ? この写真じゃなにがなんだかわからないって? そういう方はぜひ会場にお越しください! 迫力満点ですから。

 ふりそそぐ矢のコーナーの下あたりに展示されているこちらの作品、その名も「武士出征像」(ぶししゅっせいぞう)。
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 これから出征する兵士が、馬にのり、環頭大刀(かんとうたち)を佩(は)いて(身に着けて)います。馬は足をつっぱり、口をあけて、今にもいななこうとし、それをおさえるかのように左右の従者が馬のくつわを持っています。

 お墓にも馬の姿は描かれました。
 3世紀ころの魏の墓に描かれた壁画をうつした、「北園1号墓壁画模写」(ほくえんいちごうぼへきがもしゃ)。
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 馬車とそれを護衛する騎馬隊を躍動的に描き出しています。

 三国歴訪 蜀のコーナーにも、躍動的な姿の馬を描いた作品が。「車馬出行図塼」(しゃばしゅっこうずせん)も、2頭立ての馬車と騎乗した従者の姿を生き生きと表現した作品。
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 塼(せん、つちへんに「専」)とは、床や地面に敷いたり、壁に貼ったりするレンガのような焼き物のこと。踏みつけちゃうのがもったいない出来栄えですよね!?

 そのすぐ近くにあるこちら「金馬書刀」(きんばしょとう)。
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 これは実物が小さすぎて会場では拡大写真を見てもらわないとわからないのがちょっと残念ですが、見事な象嵌(ぞうがん/金属に別の金属を埋め込む)技術で馬を表現しています。ちなみに、「書刀」とは、字を書くための木簡や竹簡をけずるための小刀のこと。現代の消しゴムに相当する筆記具で、当時の役人には必須のツールでした。

 またまた登場、中国南部から東南アジアにかけて広くお祭りで使われたとされる「銅鼓」(どうこ)。
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 銅鼓の上には、以前ご紹介したユーモラスなカエルと並んで、馬に乗った人物が造形されています。

 こちらも再登場組、「神亭壷」(しんていこ)。
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 ちょっと目立たない位置ですが、やっぱり騎馬人物がえがかれています。

 そしてこちら。
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 ん? よくみるとこれは・・・  馬じゃない・・・ 象(ぞう)じゃないか!!
 「騎象俑」(きぞうよう)は後漢(ごかん)時代(2世紀ころ)の作。ライオンに象、後漢の人たちはいろんな動物に接していたんですね。間違えちゃいました(テヘッ)


 いかがですか?
 三国志の時代の人々がいかに馬に親しんでいたかが分かりますね。
 しかも、ほとんどが騎馬、または馬車をひく姿であらわされています。当時の馬と人々の生活のかかわりがよくあらわれている、これらの作品たちにあいに、「三国志」展、足を運んでみてはいかがでしょうか?

 特別展「三国志」は、九州国立博物館3階特別展室にて来年1月5日(日)まで開催中です!
 会期末が近づいてきています。まだご来場されていないそこのあなたも、何回か行ったけどまだまだ見たりないというそこのあなたも、ぜひ九博までお越しくださいませ!




投稿者 | 989tenji |
第6回きゅーはく女子考古部〜わくわく☆熊本古墳めぐり〜

だいぶ更新が遅くなりましたが・・・

女子考古部の10月の活動レポートです!

部員企画第2弾は、福岡を飛び出して

熊本古墳めぐりにいってきました(^_^)

県外での活動はお初ですね!!

お天気にも恵まれ、気持ちのいい旅でした

 

みんなでバスに乗って、出発〜(^o^)/

小嶋顧問がマニアックな古墳解説をしてくれました!

地域や時代によって異なる古墳の作り方など、

大ボリュームでしたね!

あわせて、10月班の部員によるオリジナル古墳クイズを実施!

日本にある古墳の数はいくつ?

最も古墳がたくさんある都道府県は?

福岡県は全国で何番目に古墳が多い?

などなど、こちらもマニアックな出題でした!

正解数が多い人には、班員オリジナル缶バッジをプレゼント★

これはなんの模様でしょうね?

のちほど明らかになりますよ(^w^)

 

太宰府からおよそ1時間半が経過した頃、熊本に到着。

まずは山鹿市にある熊本県立装飾古墳館

お邪魔させていただきました!

 

装飾古墳とは、文様や絵で石室が飾られた古墳のこと。

なんと、熊本県は全国で最も装飾古墳がある都道府県なのです!!

展示室の中には、文様や構造の細部まで再現された実寸大の

熊本県内の古墳の模型がいくつもありました。

上益城郡(かみましきぐん)の井寺(いでら)古墳

奥の石が積んである壁の前に、大きな石の板がありますよね。

これは「石障(せきしょう)」といって、石室の仕切り板です。

熊本県の古墳作りの特色の一つだそうですよ!

また、見えにくいですが、線刻と彩色がほどこされています。

こちらは山鹿市のチブサン古墳です。

あれ?この模様どこかで・・・

 

あっ!

バスの中で配られた10月班オリジナル缶バッジ

同じ模様だ(向き違うけど)!

一度見たら忘れられないインパクトですね。

 

話は戻って、この石室は模型なので、

本物よりも鮮明に模様が描かれています。

石室の中に屋根があるお部屋がありますね。

これは、「石屋形(いしやかた)」といって、

遺体が安置されるところです。

石棺や石屋形など、古墳時代の人は

いろいろな埋葬のされ方をしているんですね〜。

 

古墳以外にも、出土品も展示されています。

 

立派な石人!

山鹿市臼塚(うすづか)古墳の出土品です。

家形石棺!近づいてみると・・・

なんて立派な直弧文(ちょっこもん)!!!

宇城市の鴨籠(かもご)古墳の石棺だそうです。

熊本県では、活火山である阿蘇山のおかげで凝灰岩がたくさん採掘され、

石棺がたくさん作られたそう。

こうした石棺作りの技術が、石室や石人などに応用されているのです!

 

展示室内を満喫ののち、館内を自由に観覧しました。

スタンプコーナーでは、こぞってスタンプを押します!

いろんな種類があるんですね(^_^)

古墳について詳しくなれるパネルが展示されています。

おや?

王塚(おうつか)古墳といえば、福岡県が誇る装飾古墳ではありませんか!!

中に入ってみると・・・

石室が立派に再現されていました!

最後は、インスタグラム風の顔ハメパネルでぱちり

一つ50円(安い!!)のかわいい缶バッジが販売されていたので、

お土産に購入しました(¥v¥)

 

装飾古墳館で楽しんでいたら、あっという間に昼食の時間に。

装飾古墳館から少し離れたところに、

鹿央物産館やすらぎ館というレストランがあります。

そちらでいただけるのが、こちら!!

その名も、『岩原(いわばる)双子塚古墳・発掘カレー』!!

このレストランから歩いて5分ほどの岩原台地にある前方後円墳を、

500分の1スケールで再現!

本物は、後円部の直径が約57m、前方部の幅が約50m、

後円部の高さが9mで前方部はやや低い作りだそうです。

 

その名の通り、スコップ状のスプーンで

発掘するように掘り進めながら食べていくと・・・

実はご飯の中にお宝があるのです(^_^)v

何が入っているのかは、食べてみてのお楽しみ〜

おなかいっぱいになりましたね(^o^)

 

お次の目的地はここ!

山鹿市鍋田にある鍋田水遊び公園の中にある、

国指定文化財 鍋田横穴 !!

一体どんなところなのかというと・・・

ずばば〜ん!大きな岩!!

こちら、崖面に作られた横穴墓なんです。

横穴墓というのは、斜面を掘って作られたお墓の事で、

これは右側が崩れてなくなってしまっています。

中央近くの大きな穴の空間が、遺体を安置する玄室(げんしつ)です。

部員さんが写真を撮っているのは、

これ!

岩にゴリゴリと浮き彫りで絵が描いてあるんです!!

今のように鋭い刃物などがなかった時代に、

どうやってこんな絵が描けたのか・・・。恐るべし!!!

描かれているのは、人や、弓、ゆぎ(矢入れ具)、盾。

戦いに関するものばかりですね。

副葬品も武具が多かったそうで、古墳時代って

それだけ武力衝突が多い時代だったのですね・・・。

横穴墓は立地条件が整っていないと作るのが難しいことから、

近いところにたくさん作られることが多く、

鍋田横穴もたくさん穴がありました!

なんと全部で61基もあるとのこと。

横穴墓の数だけ人が葬られてると思うと、すごい数ですね!

 

さてさてお次は、装飾古墳館で模型を見て予習したところです。

そう、チブサン古墳〜!

道中に本物の石棺があるという驚き・・・。

 

ここは山鹿市立博物館の敷地の一角で、

博物館のボランティアの方がご案内してくださいました。

おおっ

またもや石屋形の模型が!

イメージを高めて、いざ!

見学!!

 

本物はというと・・・写真NGのため掲載できず(ToT)

気になる方は現地でぜひお確かめください

(1日に2回、有料で公開されています)

 

近くには、オブサン古墳という墳丘墓もありました。

古墳の名前は「産(うぶ)さん」によるらしく、

安産の神様として信仰されてきたそう。

ここも装飾古墳です。

どんな装飾でしょうか??

気になる壁画の模様は柵の向こう・・・

み・・・みえそう・・・で

見えない・・・・・・

修行が必要ですね!

 

充実の熊本ツアー、最後は副葬品が国宝という

古墳界のスーパースターです

江田船山古墳〜!!!

↑↑顧問もテンション爆上げ↑↑

見てお分かりの通り、墳丘はとっても立派なサイズ!

墳丘62m、後円部直径41m、後円部高さ10m、

前方部幅40m、前方部高さ7.5mの前方後円墳です。

 

素晴らしいロケーションだったので、

部員たちも貫頭衣を着て集合!!

それでは早速見学へ!

顧問の熱い解説を、部員も熱心に聞いています!

ここは誰でも自由に石室を見学できるんです。

熊本地震後、周囲に土のうを積んで補強しました。

ここで注目なのが、長さ2.2m、幅1.1m、高さ1.45mの家形石棺!!

出土した副葬品は、

刀剣や銅鏡、玉、耳飾、冠、甲冑、馬具、須恵器など、

全部で92点

そしてその全てが国宝という・・・!!

偉大なる古墳ですね。

熊本県、すごすぎる!!!!

 

以上で、熊本ツアー終了です!

福岡から日帰りとは思えないボリュームでしたね。

まだまだ熊本県には有名な古墳があるようなので、

またの機会に・・・

 

それでは、次回更新をお楽しみに!

 

 

 

 

投稿者 | 989edu |
関羽(かんう)に会いに行こう! どこへ? 九博4階(文化交流展示室)へ!!
 タイトルを見て、「えっ!? 4階? 3階の特別展「三国志」じゃなくて!?」と思ったあなた。
 ですよね〜。
 なにしろ、現在、九州国立博物館3階特別展室では「三国志」展が絶賛開催中ですから。

 特別展会場に入って、すぐに出会うのが、たくさんの関羽さん。
 「関羽像」(かんうぞう/青銅製)


関羽に謝る張飛(ちょうひ)(「関羽・張飛像」(かんう・ちょうひぞう/土製)より」)


関羽、兵書を読むの図(「関帝廟壁画」(かんていびょうへきが)より)


 銅像もあれば、土人形も。絵に描かれた関羽さんも。

 さらに、出口の近くには、横山光輝先生が描いた関羽さんも(「漫画 三国志 元画」より)。

 蜀(しょく)の劉備(りゅうび)に仕えた武将のなかでも、関羽は飛びぬけて人気のある武将でしょう。強く、学問にも秀で、主君である劉備に対する忠義を最後まで貫く(もちろん、「三国志演義」での脚色による部分もあるでしょうが)。人気の出ないわけがない。次第に、神様としてあがめられるようになっていきました。

 古くは唐代、関羽の武力にあやかろうと、8世紀ころに皇帝が関羽を武神の従者のひとりとして選び、まつったことがきっかけだったともいいます。北宋時代(11世紀ころ)には、関羽が呂蒙(りょもう)によって討ち取られた地「荊州」(けいしゅう)の関羽をまつる祠に対して、皇帝が名を贈りました。以後、歴代の中国王朝の皇帝が関羽におくり名(死後、生前の偉業をたたえて贈った名前)を贈呈し、その名もエスカレートしていきます。明(みん)の万暦(ばんれき)帝は「三界伏魔大帝神威遠鎮天尊関聖帝君」(!?)、清(しん)の道光(どうこう)帝は「忠義神武霊佑仁勇威顕関聖大帝」(!?!?)というおくり名をあたえ、競って関羽を持ち上げ、軍神としてあがめました。

 一方、関羽は商売の神様としても親しまれています。俗説ではそろばんや大福帳(だいふくちょう/商いで使った売り買いの帳簿)を開発したともいわれ、また忠義に篤い=約束をたがえないというイメージもあったのでしょう(商人にとって、約束をたがえないのはとても大事なこと)、中国、そしてアジアの中華街のあちこちに、「関帝廟」(かんていびょう)という関羽を祭る祠がたてられ、今でも神様として大事に祭られているのです。
(※一説によれば、関羽の出身地である解県(かいけん/現在の山西省内にある)が塩の名産地で、塩を売り歩いた山西商人たちが関羽を守り神として信仰していたのが各地に広まっていったとも。)

 もちろん、九州の代表的な中華街、長崎中華街ちかくの唐人屋敷(とうじんやしき)跡にも、関帝をまつる廟があります。

 ここでようやく、この記事のタイトルです。

 現在、九州国立博物館4階文化交流展示室では、「長崎の関帝信仰」(ながさきのかんていしんこう)と題して、長崎にある関羽像や関帝(関羽の神様としての呼び名のひとつ)信仰に関係するさまざまなものを展示しているんです。

 会場の関連第11室。入ると目の前に飛び込んでくるのがこちら。
「関帝像・関平像・周倉像」(かんていぞう・かんぺいぞう・しゅうそうぞう/長崎・興福寺(こうふくじ)蔵)

 長崎・興福寺につたわる関帝像(中央)。右には関平(実際に存在した関羽の息子で、正史「三国志」では実子とされているが、「三国志演義」ではなぜか養子となっている)が、左には周倉(三国志演義中の架空の人物で関羽の側近)が目にもまぶしいキラキラな姿で並び立ちます。

「関帝像」(長崎・聖福寺(しょうふくじ)蔵)

 おひげのりっぱな関帝さま。三国志演義などでは関羽さんは美髯公(びぜんこう)とも呼ばれ、ヒゲがりっぱなお像がたくさん作られたんだそうですよ。

 お像のほかに、絵に描かれた関帝さまもたくさん。

「雲中関帝像」(うんちゅうかんていぞう/長崎・聖福寺蔵)

 足元の雲が、神さまになった関帝さまを表しているようです。

「関帝像」(長崎・興福寺蔵)

 関平と周倉は、「三国志演義」での活躍により、しばしば関帝の随神として祭られます。色の白いのが関平、色の黒いのが周倉。


 さて、場所が変わって福岡市内にも、関帝さまをまつる寺院があるんです。
 その名にかつて住んでいた人たちの足跡を残す、福岡市中央区「唐人町」(とうじんまち)。その西側の早良区(さわらく)藤崎(ふじさき)にある千眼寺(せんがんじ)には、やはりキラキラな姿の関帝さまが。
「関帝像」(福岡・千眼寺蔵)


 このように、いま4階では、たくさんの神さまとなった関羽さんをみることができるんです。関羽ファンのそこのあなた、九博3階で開催中の特別展「三国志」にご来場の際には、忘れずに4階の関羽さんたちにも会いに来てくださいね!!

 なお、会場ではこのほか、現代に遺された中で世界最古のものといわれる三国志の写本、「三国志 呉志 第十二断簡」(さんごくし ごし だいじゅうにだんかん/個人蔵)や、長崎・聖福寺に伝わる関羽おみくじ「聖福寺関帝霊籤」(しょうふくじかんていれいせん)なども展示中です。

 「特別展「三国志」関連展示 長崎の関帝信仰」は、九州国立博物館4階文化交流展示室にて12月22日(日)まで開催中です。ぜひ、お立ち寄りください!!
投稿者 | 989tenji |
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